それは奇妙な光景だった。夫は妻の秘密を知り、妻もまた、夫が秘密に気付いていることを知った。


しかしそれから数日は何事もなかったように、時が流れた。いや、2人の間には、普段とは全く違うぎこちない空気が流れてはいたが、それをまるで感じていないかのように、お互いに振る舞っていた。


お互いが、お互いの出方を伺っている。そんな表現がピッタリな情景だった。夫婦としての信頼関係が崩壊しようとしているにも関わらず、その現実から2人とも目を逸らして、認めようとしないようでもあった。


だが、そんなことをいつまでも、続けていけるはずがなかった。


その日も仕事が終わり、帰り着いた自宅で、夫婦は夕食を共にしていた。当たり障りのない空虚な会話を交わしながら。


しかし、それも終わりに近づいた頃、妻が言い出した。


「あの・・・先日話した日帰り出張なんだけど・・・日程が正式に決まって、明後日に行くことになったから。」


「そうか、随分直前に決まるんだな。」


「うん、ご一緒するお取引先の方が、いろいろ多忙な方で、スケジュールがなかなか決まらなかったんだ。」


「そうなんだ、わかった。」


そう答えた夫は、妻から視線を逸らし、茶を口に運んだ。そんな夫を、妻は少し眺めていたが


「ねぇ、本当に行ってもいいの?」


と確認するように尋ねる。その妻の言葉に


「いいも悪いも仕事なんだろ?俺が行くなと言ったら、止められるのかよ?」


と視線を戻して答えた夫の言葉には、冷たい響きがあった。そして訪れる沈黙。それに耐えられなくなった妻は


「なんで、なんにも言ってくれないの?」


と訴えるように言った。


「もう全部知ってるんでしょ?携帯、見たんでしょ?」


そう続けた妻に対して


「それを知ってるってことは、君も俺の携帯を見たってことだな。もう、無法地帯だな、この家は。そして俺達夫婦は。」


そう言って、夫は自嘲気味の笑みを浮かべた後


「ああ、全部知ってるよ。お前が、その出張を心待ちにしていること、そしてその理由もな。」


と吐き捨てるように言った。達也が鈴をお前呼ばわりしたのは、初めてのことだった。