あのキラキラ王子は見る影もなく、髪はもしゃもしゃで小さな木の枝や葉が刺さり綺麗な顔にも赤い線が幾つも走っている。白かったであろうシャツは引掻いたように破れ、葉の色が黒く染みを作り、スラックスも同じように破れている個所が幾つもあった。
そして何よりも彼は焦った様な余裕のない表情で、その眼差しは今にも泣きそうだ。
はぁはぁ、と肩で息をし私達の前に立つと、「サクラ」と私を呼んだ。
その姿があまりに衝撃的で、すぐにでも駆け寄りたかったけど、颯の腕はがっちり私をホールドしていて身動きが取れない。
「颯?」
訳が分からず見上げれば、それはそれは楽しそうな颯の顔がそこにはあった。

・・・・こいつ、アリオスで遊んでるな・・・・

アリオスを見れば、これまでに見たこともないような「視線だけで人を殺せる」とでも言いましょうか・・・怖い顔で颯を睨んでいる。
―――だから美人の真顔は怖いんだってっ!!
私が睨まれているわけではないんだけど、怖くて思わず颯にしがみ付けば、まるで傷ついたかのような表情をするアリオス。
いまいち状況が飲み込めない私は、クイクイッと颯の衣を引いた。
『どうした?サクラ』
そう言うと、私の頭のてっぺんやら額やら頬やらに口付けてくる。
颯に限らず、六人の精霊の王達はスキンシップ過剰で、二等身だろうが八等身だろうが気付けばちゅっちゅべたべたしてくるのだ。
『これは、愛し子への祝福だ』と言ってくるのだから、拒むのもどうかと・・・
初めの頃は戸惑い焦ったものだが、光葉と水月―――女性だから女王?―――までも同じ行動をするから、次第に慣れてきて、というか馴らされた感があるのだが・・・慣れた。
そう、犬や猫に顔を舐められても照れはないよね?嬉しいって感情は湧いてくるけど。
何か、彼等にはそれに近い感情しか生まれてこない。特に二等身だと・・・・可愛くてしょうがないのだ。

でも、この事は常に一緒にいるリズですら知らない事で、アリオスにしてみれば衝撃かもしれない。己の婚約者が、精霊王とはいえ別の男といちゃついているのだから。
だけど今の私はそこまで気が回っていなかった。
「ねぇ、これってどういう事?」
彼からの口付けを拒むことなく、当たり前の様に受ける私にアリオスは堪らないとばかりに私の名前を叫んだ。
そして無理矢理、颯の腕の中から私を奪い、苦しいくらいに抱きしめてくる。
「え?アリオス?」
一体何が何だか訳も分からずオロオロしていると、耐えきれないとばかりに颯が声を上げて笑い始めた。
「颯?ちょっと、ちゃんと説明して!!」
『悪い悪い!あはははっ!』
説明どころか、笑いの収まらない颯は無視して、いまだぎゅうぎゅうと抱きしめてくるアリオスに声を掛けた。
「アリオス?大丈夫?・・・顔を見せて?」
傷の状態が心配で、背中を宥めるようにポンポンと叩くけれど、その戒めを解く気配はなく更に力を込めてくる。
そしてその身体が小さく震えている事に気づいた。
「・・・・リオン?」
彼を愛称で呼び、背に回した腕で彼を抱きしめれば、その身体がビクンと小さく跳ねた。
そして観念したように身体を離し、はぁ・・・と息を吐き白状する。
「・・・・・怖かったんだ」
「怖い?」
「風の王と空を飛んでいる姿を見た時、サクラは誰に知られる事無く、ここからいなくなる事など簡単なのだと改めて思い知らされた」

えっ!?見られてた!?

私は思いっきり首を回し颯を睨んだ。
当の本人はと言うと、笑いすぎて痛む腹を擦りながら、どやっ!ってな顔で親指を立ててきた。
いや、何その満足そうな顔は!
精霊王たちと屋敷を抜け出す時は、誰にも見とがめられないよう結界を張ってもらっていた。
今日もそうだと思っていたから、誰かに・・・しかも、アリオスに見られていたなんて、思ってもみなかった。
『あ、アリオス以外には視えてないから大丈夫』
そう言うと、良い仕事してるだろ?てな顔でウインクを寄与してきた。

くっ・・・イラッとくるわ・・・・

私が不機嫌そうに眉根を寄せると、颯がふんわりと浮き始める。
「颯!逃げる気!?」
私が叫べば『逃げるんじゃなくて帰るんだよ~!そうそう、迷路の庭木は木の王と大地の王に頼んでおくから大丈夫!じゃあね~!』と言って、小さな竜巻の中に消えていった。

あ・・・あの野郎・・・・

私が颯の消えた空中を睨みながらぐっと拳を握ると、後ろでアリオスが動く気配がした。
これは謝罪しないといけないよな・・・と、振り向こうとした瞬間、後ろから抱きしめられた。
「え?あ?」
驚きのあまり意味のない言葉が口から洩れる。
何も言わず、ただ抱きしめるだけのアリオス。沈黙が重苦しくてものすごく・・・痛い・・・
いっその事、罵倒された方がどんなに楽か・・・・そう思い、ふぅ・・・と息を吐けば、またもアリオスの身体が震えた。
でも、その腕を離す事は無い。

私は月を見上げ、そして目を閉じた。
全ては私が悪いんだ・・・自分の事しか考えてないから、アリオスにこんな怪我までさせて・・・心にも身体にも・・・
これまでの謝罪から全てを始めようと思っていたけど、その前に・・・・

私はアリオスの腕をほどき、向かい合う。見つめた彼の顔は酷いもので・・・傷もそうだけど、その表情は絶望に歪んでいた。
彼の目は私を見ているけれど映してはおらず、頬を撫でればようやく私を映した。
傷ついた両頬を包み少し下を向かせる。そして私はつま先立ちになり、彼の唇に自分のものをそっと合わせた。
驚きに見開く瞳には確かに自分が映っている事にほっとし、もう一度唇を重ねる。
びくりとも動かない彼に、拒絶されるのではと緊張していた私も力が抜け、小さく安堵の溜息を漏らした。
「ごめんね、リオン」
そう言いながら、頬に鼻に額にと赤く走る引掻き傷一つ一つに唇を当てる。
「今まで、貴方を傷つけて本当に、ごめんなさい」
彼に届く事を願いながら、心からの謝罪を言葉にしその頬から手を離そうとしたとき、強い力で手首を掴まれた。
「ア・・アリオス?」
「何故、謝る?俺から離れるから?だから、口付けるの?」
その顔は苦痛に耐えるかのように歪み、離さないとばかりに腰を抱き寄せてきた。

あぁ・・・・拗れてる・・・

話が通じるのだろうか・・・と、不安になりつつも、私は彼の目を見つめた。
「私はアリオスから離れないよ?謝罪はね、今まで沢山、無神経な事言ってしまった事に対してだよ」
当のアリオスは「わからない」とばかりに、眉間に皺を作り首を傾げた。
「私の心ない言葉で傷つけたし・・・」
「別に構わない。サクラが俺の傍に居てくれるなら、何を言われてもかまわない」
「え?」
「だからサクラは今まで通り、好きにしていい。今の俺には、サクラを止める手立てはないんだから」
そう言いながら、どこか諦めた様な暗い笑みを浮かべる彼に驚愕しながらも、理解しようと必死に脳みそを働かせる。

待って・・・待ってよ!じゃあ、私が彼の事を好きでも嫌いでもいいって事?心がそこになくても傍にさえいれば、いいと??
私は愕然としたと同時に、心の奥底にほの暗い歓喜を感じ、身を震わせた。

――――彼をこんな風にさせたのは、私だ。誰が見ても美しいと言うであろうスカーレット嬢よりも、私が良いと言う。
己惚れと優越感に浸りそうになるくらい、私はアリオスが好きなんだ・・・・
改めて自覚した恋心に、不安を無理矢理ねじ伏せて、私は覚悟を決める。

―――よしっ!プロポーズ大作戦だっ!!

何が「よしっ!」なのか自分でもわからないが、嘘偽りない自分の気持ちを誠心誠意伝えないと、このままではお互いに幸せになれないと思った。
暫しの攻防の末、私はアリオスの腕から逃れると、彼の手を引きベンチに座らせる。そして私は彼の前に立った。
不安げに私を見上げるアリオス。まったくもって、良い男台無しだ。でも、それすら可愛いと思えてしまうのは・・・私も大概重症ということで・・・・
女は度胸!当たって砕けろだ!と、挫けそうな気持ちを鼓舞する。くどくどした言い回しより、直球ストレートで行くぞ!
私は大きく息を吸い込んだ。

「アリオスを好きになってしまいました!私と結婚してください!!」

そう叫ぶと90度に腰を曲げ、右手を勢いよく差し出した。

心臓がバクバクする・・・口から飛び出す・・・
YESでもNOでもいい!できればYESがいいけど・・・早く返事が欲しい!
アリオスは私の事が好きだ。多分?・・・こんな姿を見せられてもいまいち自信が無いけど。
だからこそ白黒つけて・・・どんな結果であれ次に進みたい!

私はギュッと目を閉じ、彼からの審判を己の心音を全身で聞きながらじっと待った。