やがて春が来るまでの、僕らの話。




あまりの衝撃に、苛立ちも悲しみも湧いてこない。

呆然と立ち尽くす私を前に、矢野さんは更に続ける。


「あんたが入ってきて杉内くんに変な虫がついたなーっとは思ってたけど、まさか身元不明人だとは思わないじゃない。だから虫退治してあげたのに、杉内くんまで辞めちゃうとかほんとありえないから」

「………」

「大体なに?こっちは未経験で役立たずのあんたの世話をしてやったのに、恩を仇で返すようなことして…って、ちょっと聞いてんの?もしかして日本語通じない?義務教育ちゃんと受けた?あ、まさかその時点で身元不明人だったとか?」


多分、耳を塞ぎたくなるようなことを言われている。

だけど頭の整理が追い付かなくて、やっぱり呆然とする中……

一つだけ、確かめたいことがハッキリ浮かんだ。


「矢野さんなんですか」

「は、なにが?」

「売り上げを私のカバンに入れたり、靴を傷つけたりしたの。…全部矢野さんなんですか」

「……」


疑うこともしなかった人が犯人かもしれない。

その衝撃は、あまりに大きい。


「やめてよ」

「じゃあ、」

「私は売り上げをカバンに入れただけ」

「、…」


だけ、って……


「靴のことなんて一切関与してないから。変な言いがかりはやめてくれる」


まるで自分は被害者のように溜め息を吐いて、矢野さんは足先を店へ向ける。


「私もう仕事行くから。二度と会うことはないだろうし、さようなら」



ロングカーディガンをなびかせて、私の横を通り過ぎる矢野さんは……


すれ違いざまに、最後に言った。



「恨むなら、杉内くんを恨んでね?」


「っ!」



その瞬間、苛立ちと悲しみが一気に私の右手に湧き上がり、


パァァン!!!



肩を掴みこちらに向かせると同時に、彼女の頬を渾身の力で平手打ちしていた。