[17歳・・・その後 悠介]

 「コウキ、帰った。」
奈津がタムラコウキについて、オレに言ったのはその一言だけだった。

熱風のような夏の風が、秋の風に変わり始めていた。
その頃には、サッカー部の練習は。選手権に向けてますます厳しくなっていた。オレの心も自然とサッカーへと一直線だった。
奈津は部活中には一切そんな素振りを見せないが、勉強との両立でかなり無理をしているに違いなかった。脳みそも筋肉でできていて、サッカーバカのオレとは違って、あいつが目指しているのは医学部だった。和田や加賀に用事があって、3組をのぞくと、決まって奈津は参考書とにらめっこをしていた。周りの様子などまるっきり目にも耳にも入っていない様子で。
オレは、あんなにはっきり奈津に失恋したっていうのに、気づいたら、やっぱり奈津を目で追っていた・・・。
そう言えば・・・、最近気づいたけど、あれは何なんだ?部活中、やたらと、奈津の近くをチョロチョロと。奈津がキビキビと手際よくマネージャーの仕事をこなしているっていうのに、その傍らで、ビブスの束を落としたり、逆噴射させた水道の水でびしょ濡れになっていたり・・・。
「奈津、詩帆ちゃんってあんなにトロかったっけ?」
また、向こうの方でドリンクボトルの籠をひっくり返している詩帆ちゃんを見て、オレは呆れて、横でスコアチェックしている奈津に訊いた。
「え?」
奈津は顔を上げると、グランドの端で慌ててそそくさとボトルを拾っている詩帆ちゃん見つけた。そして、その姿を見てハハハと笑った。
「だいぶ、できるようになってきたんだよ!詩帆ちゃん、運動部なんて初めてだから、前はもっといろいろやらかしてたんだから!しょっちゅう、みんなにからかわれてたでしょ。」
そう言われて、オレは改めて詩帆ちゃんを見る。『あれで?前よりマシになった?すっげートロい。』悠介は首をひねった。
「悠介、知らなかったの?」
奈津がスコアに目を戻し、鉛筆で印をつけ始めながら訊いてきた。『他の女のことなんか知るわけねえじゃん。』心の中でそうぼやいたけど、それは言わなかった。奈津の横顔。奈津の目が優しく微笑んでいる。
「知らんかった。」
オレがそれだけ言うと、
「ふうん。」
奈津はうなずき、スコアを見るその目がますます笑ったような気がした・・・。
そう言えば・・・、詩帆ちゃんなんて、今まで全く見えてなかった。
最近、目の端に映るようになってきたのは、祭りの日に告白されたからなのかな・・・。あの娘、浴衣ですっ転んだっていうのに、すっげー根性だった。
ボトルを籠に入れ終わって、また、走り始めた詩帆を見て、悠介はあの夜のことを思い出した。奈津を目の前であいつにかっさわれたあの夜、詩帆が必死の形相でオレを追っかけてきたんだっけ。『でも、まあ、あんだけ奈津が好きだ!って公言したんだ。詩帆ちゃんだって諦めただろ・・・。』
休憩の終わった悠介は、腕のストレッチをした。それから、軽くその場でジャンプすると、次のゲームに出るためにてグランドに向かった。その時、目の端に、転びこそしなかったが、また、何かにつまずいて、おっとっと・・・となっている詩帆の姿が映った。『はあ?あの娘、まじでトロい。あんなんで大丈夫か?奈津とまなみが抜けた後のサッカー部・・・。』悠介はガクッとうなだれる。それから、頼りがいのあるマネージャー、奈津を振り返った。奈津はスコアから顔を上げ、空を見上げていた。
奈津の口元が動いている。空に向かって何かつぶやいているみたいに・・・。
悠介も空を見た。秋の空は・・・夏の空に比べて、少しだけ高くなっていた。

奈津の周りからあいつの存在がなくなった秋・・・。
『奈津・・・あいつのこと、今はどう思ってる?』



[17歳・・・8月12日 奈津・コウキ]

 「そう言えば、あの時、誰かが何も言わずにいなくなったから、わたしの貴重な手作り弁当1食分、ゴミ箱行きになったんだからね!」
ベーコンが巻かれたウズラの卵を口に入れた時、奈津がそう言ったので、コウキはそれを喉に詰めそうになった。ゴホッゴホッ。『ぼく?』咳き込みながらコウキは自分を指さした。うん。奈津はしかめっ面でうなずく。卵を飲み込んでしまってからコウキは眉毛をへの字にして残念そうな顔をした。
「え!!お弁当作ってくれたの?あ~食べたかった~。っていうか、『奈津にお弁当作ってもらった!!』ってクラスのみんなに自慢したかったなあ・・・」
思わず、は?となる奈津。
「そんなの、全然自慢なんかにならないからね!」
奈津はますますしかめっ面になる。
「え!なるよ!今日のもすっごくおいしいもん。」
コウキの『すっごくおいしい』と言う言葉についつい気をよくしてしまった奈津は、ほんと?と、しかめっ面からにやけ顔に変わる。
「よく凛太郎から、『姉ちゃんの弁当、茶色系なんだよな~』って言われるんよね。」
奈津が胸をなでおろして言った。それなのに、コウキはわざわざ神妙な顔をすると、
「確かに。茶色系・・・。」
とシリアスな感じで言った。卵焼きを頬張って、ほっぺたをふくらましたまま。
奈津は思わずバチン!とコウキの背中を叩く。
「もう!二度とお弁当作らないからね!」
叩かれて、コウキは笑い出した。
「うそ!うちのばあちゃんの味に似てておいしいって言いたかっただけ。」
口から卵焼きを出しそうになっているコウキを見て、奈津も笑った。

2人は気づいている・・・言ってしまって、それが、まるで次があるかのようなニュアンスだったってこと・・・。でも、今は・・・。

「えっと・・・ごめん。それは、褒め言葉?」
笑い終わって、奈津はおばあちゃんに失礼のないように・・・と思いながら訊いた。
「もちろん!ばあちゃんの料理大好きだもん。」
コウキの言葉に奈津は笑顔になる。
「さすがに歳だから、毎日のお弁当は頼めなかったけどね。」
ああ、それで、いつも学食かコンビニだったのか・・・。
奈津はおにぎりを頬張るコウキの横顔を目を細めて見る。よかった・・・。朝晩はちゃんと食べてたんだ・・・。奈津は思わず安堵する。
おにぎりを1つ食べ終わって、今度はコウキが奈津を見た。奈津はおにぎりを食べようと口をアーンと開けたとこだった。
「よし!今日は、特別!奈津のわがまま何でも聞く!お弁当のお礼に。」
コウキはそう言うと立ちあがった。
奈津の笑顔をもっともっと見たくって・・・。
奈津はおにぎりを持ったまま静止した。そして、コウキを見上げると、
「わがまま・・・?」
とキョトンとして言った。
「そ。わがまま。ぼくは、奈津のスーパーマンだから。」
コウキはウーンと背伸びをした。
「えっと・・・。でも、わたし、わがまま言うの苦手かも・・・。ほら、そもそも可愛げないっていうか・・・。」
どういうのをわがままって言うんだろう・・・? 奈津はしばし考える。
「アーケード街で抹茶ソフト一緒に食べたい・・・とか?」
それを訊いて、コウキはこっちを見て、目をクシャッとしていつもの笑顔をする。
「了解!まずは抹茶ソフトね。でも、それ、わがままって言わない。提案・・・かな?」
そっか・・・提案か。そうなると、わがままってなかなか難しいぞ・・・。ますます思案顔になる奈津。
「なんて言うのか・・・もっと、ぼくが叶えにくい感じ?」
叶えにくい・・・?なんか、余計に分からなくなった・・・。
「じゃあ・・・。」
奈津は目をクリッとさせて言ってみた。
「お手本!コウキだったらどんなわがまま言う?」
「え・・・?」
逆に質問されてコウキも一瞬たじろいだ。そう来るとは思わなかった。
「わがまま・・・?」
コウキは空を見上げた。ぼく・・・?
そして、下を向く。
ぼくのわがまま・・・?
「ほら、すぐ思いつかないでしょ。じゃあ、思いつく度、お互い言っていくっていうのはどう?」
そう言って、呑気に奈津はおにぎりを頬張った。コウキは答えない。
「じゃあ、今日は、2人でわがまま言いあいこしよう!」
奈津はモグモグしながら無邪気に言った。
それからおにぎりを食べ終わると、、
「あ、ちょっと、席を外します。どこ行くか訊かないでよ。これでも女の子なんだから。」
奈津はそう言って、カバンからハンカチを取り出すと立ちあがった。
「あっちにあったと思うから、ちょっと行って来る!待っててね!」
奈津はスニーカーをトントンとしてから履くと、木陰から日なたへと駆けだした。
コウキはその背中を見送る。白いTシャツにデニムのパンツ姿。その走る姿は本当にサッカーが上手そう・・・。悔しいけど格好いい。
その時。
・・・まただ。この感覚・・・。
ただ、ちょっと席を外すだけなのに。
奈津が・・・奈津が・・・目の前からいなくなってしまう感覚・・・。

コウキは夏の空を見上げ大きく深呼吸した。そして、一旦、手を胸に当てると、静かにスマホを取り出した。


[27歳・・・5月]

 奈津は更衣室のドアを開けた。ロッカーが5つ並んだ狭い空間。奈津が入って来たのが分かると、まなみは奈津を見て椅子から立ちあがった。
「奈津!」
少し薄暗い更衣室にまなみの声が響く。まなみと目が合う。奈津はグシャッと表情を崩したかと思うと、その場にしゃがみ込んだ・・・。まなみが駆け寄って、その肩を揺する。でも、奈津は膝に顔をつけたままで動かない・・・。まなみはその体を抱きしめた。・・・いつも奈津がそうしてくれてたように・・・ギュッと。