湖川さんが、身体を起こす。
少しだけ安心した。先程の出来事を湖川さんがはっきり覚えていたら、どのように話したら良いか分からなくなってしまいしそうだったから。

「今日の授業、少しだけ楽しみにしていたのに…。」

湖川さんが、独り言のように呟いた。

「そうだったの?」
「はい。遠足や勉強会や遊園地へ行ったことを通して、真島くんと少しだけ距離が縮まりました。だから、この授業でもう少し仲良くなれるように、頑張ろうと思っていたのです。それなのに…、こんなことになってしまうなんて…。」

そういえば、今日の為に裁縫の練習をしてきたと言っていた。

「真島くんは、形だけの関係で良いと言っていましたし、私もそれで良いと思っています。でも、真島くん、いつも無理してるみたいだから…。」
「無理?」
「はい。私といると、辛そうな時があるのです。現に、真島くんは出会ってから1度も、私のことを、苗字や名前で呼んでくれないのですよ。いつも、『君』って…。」

僕は、真島くんとの会話を思い出す。
確かに、湖川さんのことは『君』と呼んでいたかもしれない。僕の前でも、いつも、『彼女』と呼んでいた。

「今日こそは名前を呼んでもらおうと、頑張ろうと思っていたのです。」
「じゃあ、今日の授業は、僕が相手じゃ全く意味が無かったね。ごめん。」

封筒を落としてしまった時、よく確認していれば良かった。

「そんなことはないですよ。」
「え?」