それから 多くの、被虐待児を担当してきた。 僕には休みが与えられているけれど、子供たちは、常にSOSを出していた。 出したくても、出せない子がいた。 覚悟していた以上の、想像を絶する、目まぐるしさ。 先輩からは、 『そんなに根を詰めると病んでしまうぞ』 『一つの家庭に関わりすぎるな。できることには限界がある』 そんな声をかけられた。 応えられる時間に、体力に、介入できる範囲には限りがあった。