「お嬢様、ケーキです。本日はチョコレートケーキとなります」
「ありがとう……」

 あの日から毎日、ケーキならば喉を通るようになった。
 野菜を使ったケーキや、ミートパイなどを頼み、少しずつ食べる量が増えたと思う。
 しかし、あの夢の感覚のせいだろうか?
 この家の異様さが如実に感じられるようになってきた。
 両親はもちろん、姉や兄もわたくしに会いに来ないのだ。
 同じ家に住んでいるはずなのに……。
 基本的に貴族の親は子どもに構わない。
 けれど体調の悪い妹を放置する姉と兄も相当おかしいような気がする。
 いや、あの夢の中の自分も、家族らしい家族はいなかったけれど……隣の部屋にとても家族中のいい『友人』がいたのだ。
 彼女は難病で、『私』よりも先に逝ってしまったけれど……生きている間にたくさんの事を教えてくれた。
 彼女の家族は毎日彼女に会いにきたし、ゲームやライトノベルなども貸してくれたのだ。
 いつも笑顔で優しい彼女……ああ、彼女のような人がどうして短命だったのだろう。

「お嬢様?」
「あ、なんでもないわ……ごちそうさま」

 空になったお皿をルイナに手渡す。
 今日もちゃんと食べられた。
 ルイナは最近わたくしがケーキを食べるのを、どことなく嬉しそうに見つめている。
 多分、ルイナはわたくしを本当に心配している唯一の人物なのだろう。

「お嬢様、本日は起き上がれそうですか? お茶会は五日後……そろそろ最低限の体力作りをなさらないと……」
「…………そうね……」

 父の命令には逆らえない。
 とはいえ、わたくしは婚約者になんてなれないだろう。
 他の婚約者候補たちの王妃教育は、わたくしよりもずっと進んでいるはずだ。
 なんとなくそう思えば元気になれる気がした。
 そう、無理なのよ。今更! 無理!

「……普通にお茶会を楽しむ事を目標にすれば、頑張れそう……」
「それでよいと思います。まず倒れない事を。そして、お友達を作る事を目標にしてはいかがでしょうか。お嬢様のお歳でお友達が一人もおられないのは、珍しいくらいですし」
「お友達……そうね……」

 その通りだ。
 ケーキだけとはいえ、ちゃんと食べるようになったので最近は頭も痛くない。
 体は相変わらず怠いけれど……友達……あの夢の中の、彼女のような……。

「わたくし頑張るわ」
「お手伝い致します、お嬢様」
「ありがとう、ルイナ……」

 両親、姉と兄。
 相変わらず、誰一人顔を見せる事はない。
 でも構わないわ、わたくしにはルイナという味方がいる。
 王太子妃は無理だけど、お友達は欲しい。
 お茶会には、頑張って行く。
 目標を打ち立ててから、わたくしは食事……ケーキの量と種類を増やしてもらう。
 そこから普通の食事を、と思ったのだが……相変わらず普通の食事はダメ。
 吐いてしまう。
 でも、なんとか立って歩けるようにはなった。
 お茶会に出ても問題ない体力かどうかは、怪しいところだけれど……。

 ***

「ようやく起きてきたか」
「……あ……お、おはようございます……お父様……」

 お茶会当日の朝。
 メイクと外出用のドレスを纏ったわたくしが食堂に行くと、初めてルイナ以外の人間を……肉親を見た。
 いや、初めてではないはずなのだ。
 けど、初対面のように感じた……久しぶりすぎるからだろうか?

「いいか、必ず王子の婚約者になるのだぞ。メアリは年上すぎるからな。お前はそのために生まれてきたのだ! 必ず王子の妻となり、王子の子を生むのだ!」
「…………は、はい」

 ものすごい威圧的な声……。
 十歳……いや、それよりも前から、こんな幼女になんて事を言い続けているのだろう、このおっさんは。
 そんな風に感じつつ、席に着く。
 食事はケーキ。
 ミートパイと、キャロットケーキ。
 他にも野菜を細かくして混ぜたケーキを用意してもらい、必死に飲み込む。
 いつもより食欲がないし、味がしない。
 その間厳格な父の気味の悪いものを見る顔……。

「なんだその食事は」
「ケーキなら、食べられるので……」
「ふん、まあいい。お前の役目をしっかり果たせば食べ物など好きなものを好きなだけ食べて構わん」
「は、はい」

 早くここから逃げたい。
 一生懸命食べて、ようやくケーキを食べ終わる。
 椅子から降り、父に頭を下げてからそそくさと用意されていた馬車に乗り込んだ。
 ルイナが一緒に乗り込んで、扉が閉まる。
 すぐさま動き出す馬車。
 窓の外を眺めながら溜息を吐く。

「……こんなガリガリな令嬢が選ばれるわけないのに……」
「お嬢様、気分が悪くなりましたらすぐに申しつけください」
「ええ……。会場につくまで横になっていてもいい?」
「では、私の膝をお使いください」
「ありがとう、ルイナ」

 ルイナに膝枕してもらい、体力を温存。
 馬車はそこそこ揺れるけど、ルイナの膝の上は暖かいし柔らかい。

「お嬢様、お嬢様……」
「ん……」
「着きましたよ」
「え、は、早くない?」
「はい。お城は我が家から馬車で十分ほどですので」
「…………」

 まるで休めなかった。
 つーか、お城近!
 しかしよく考えれば当たり前の事かもしれない。
 父は宰相だ。
 勤務地が近いのは普通……。

「大丈夫ですか?」
「え、ええ。……では行ってきます」
「はい。お側におりますので、ご安心ください」
「うん……」

 本当にあっという間だ。
 馬車から出ればそこは会場となる庭。
 咲き乱れる花々、囀るご令嬢たち、凛とした佇まい……というわけではなく、庭を駆け回る令息たち。
 招待状をルイナが受付に手渡し、入場すると百人くらいいそうなお茶会はすでに始まっていた。
 というか、自由にやってくれ、って感じ?
 しかし、まずは主催にご挨拶だろう。
 センターの噴水の横に設置してある玉座のようなステージ。
 そこに立つ金髪碧眼の美女と、横に立つ銀髪青眼の美少年。
 ご令嬢たちが人垣を作っているので、間違いなくあれが王子様だと思われる。

「……はじめまして、ご挨拶をよろしいでしょうか……」
「いらっしゃい」

 笑顔で出迎えてくれたのはきっと王妃様。
 すごいふわふわ系の美人だ。
 その隣にいる王子様の無表情ぶりよ……まるで人の顔を見過ぎで、感情を無にしてしまったかのようだわ。

「クリスティア・ロンディウヘッドと申します」

 ざわ。

 ……庭が明らかにざわめいた。
 周囲は「あのガリガリが!?」「骨と皮じゃない」「亡霊じゃないの?」等々……ストレートに悪口を言ってる。
 さっきまで「誰あのガリガリ」ぐらいだったのに……。
 まあ、声からしてライバルのご令嬢たちのようだ。
 ガリガリをごまかすために長袖のドレスを着てきたのだが、それではごまかしきれないガリガリなわたくし……。
 仕方がないわね。
 とりあえず今日の目標は倒れない事。
 そしてお友達を探す事。
 挨拶さえ無事に終われば、それでいいのだ。

「まあ、体調は大丈夫なの!?」

 しかしそこは王妃様。
 わたくしの心労虚弱体質をご存じだったらしい。
 絞り出すように笑顔……笑顔になっていると思う……で「はい」と答えると嬉しそうに「そう! 良かったわね、本当に良かったわね」ちょっと泣きそうになっている。なぜ?
 王妃様に肩を叩かれた王子様は、ハッとした表情。
 なんだ? どうしたのだ? なにかあったの? んんんんんん?

「……来い!」
「へ? あ、きゃっ!」

 王子様に手を握られたと思ったら突然引っ張られた。
 テーブルのたくさんある方に連れて行かれそうになった?
 いやいや、ほぼ毎日寝込んでたわたくしにそんな機敏な動きなど出来るはずもなく!

 どて!

 …………と、まあ、普通に転ぶわ。

「お嬢様!?」
「まあ! クリスティアさん! っ! ミリアムー!」
「うわぁぁっ! ち、違……わ、わざとでは……! わざとじゃありません母上ェ〜!」

 そして自分でも信じられない事に、起き上がれない。
 ルイナに抱き起こされるけど、まるでぷっつりとなにかが途切れたよう。
 目をなんとか開ける程度。
 起き上がれる、歩けるだけマシになっていた、というところなのか。

 ──いや……多分…………父だ。

 朝、父に会ったからだ。
 そこで極限まで緊張していたものが、転んだ拍子に切れたんだわ。
 困ったわ、意識も、薄れてきた。
 世界が遠くなって行く。
 この感覚は……あの夢の終わりに、似ていた。