家の外に出て、アパートの場所を説明した。


 お弁当屋さんがある商店街から一本奥に入ったくらい道を、綾星くんが歩く。

 その後ろを私が遅れて。



 さっきまで言葉を交わしていた過去が幻だったかのように、お互い無言のまま。

 でも、それでいい。

 きっともう、会うこともない人だから。




「このアパート……?」


 やっと聞こえた綾星くんの声は、幽霊みたいに闇に消えそうで

「うん……」と答えた私の声も、綾星くんに聞こえたかどうかわからないくらいかすか。

 

 でも……

 やっぱりこれだけは伝えておきたいな……




「あの……」


 無表情のまま立ち尽くす綾星くんの瞳だけが動いた。


 視線が一瞬絡んだけれど、恥ずかしくなって逸らしたのは私の方。




「なに?」


「綾星くんの方が……良かったよ……」


「は?」


「シャーベットブルーの雫って曲。ヘッドフォンで聞いた歌より……綾星くんの声の方が……」


「ほのかさ、あれ誰の曲か知ってるの?」


「……知らない」


「あいつら、県内じゃそこそこ有名なアイドルなんだけど」


「でも綾星くんの粘っこい歌声の方が……私は……好きだから……」


「粘っこいって、褒めてないよな?」




 ううん、褒めてるんだけどな。

 すごく大好きな歌声だったって、わかってもらいたいんだけどな。



 
 どんな褒め言葉を並べても信じてはもらえなそうで、言葉に詰まる。




「でも……サンキュー」



 へ?

 突然のお礼の言葉に驚いて視線をあげる。

 そこにはさわやかな笑顔の綾星くんが。



 綾星くんって、笑顔のレパートリーどれくらいあるんだろう。

 透明感のある彼の瞳が、甘い声と共に優しく揺れた。