記憶がある二十歳の時点で男の人とお付き合いしたことがない私は、異性を名前で呼んだことがない。
緊張するけど、ここはお寿司の……もとい、彼のために頑張ろう。
「か、か、か……げとらさん」
上杉謙信の幼名と同じ、景虎さん。
「呼び捨てでいい」
「でも、年上でしょ?」
「対等なのが夫婦だろ」
まあそうか。納得はするけど、やっぱり恥ずかしい。
「私、ずっとため口で話していたんですか?」
「付き合い始めてからはね」
「そうですか。では……」
すーはーと息を整え、彼を見た。
「景虎」
食欲が緊張に勝った瞬間だった。
だって、病院食あんまり美味しくなくて食が進まなかったんだもん。究極にお腹が空いている。
これじゃ患者さん減るよって、父にも散々言っておいたくらいだ。
「かわいい。合格」
がしがしと頭を撫でられる。前髪が邪魔をして、彼の表情が見えなかった。
「じゃあ、改めて。萌奈の退院を祝って」
グラスを持った景虎が笑った。目を細めた彼は、実年齢である三十歳よりも少し幼く見えた。



