『私みたいなおばさんにはなにが面白いのかさっぱりでしたけど、あの子はこの話が大好きで……』
『これは事故の直前に、萌奈さんからもらったものです』
綾瀬夫人はおしゃべりをやめた。俺は表紙カバーをそっとめくる。
『この字は、お嬢さんのもので間違いないですか』
身を乗り出した綾瀬夫妻は、じっくりとメッセージを見たあとで、頷いた。
『あの子、あなたが好きだったんですね。なのに、私たちに遠慮して言いだせなかった……』
涙ぐむ夫人の肩を、萌奈の父が優しく抱く。
『ならば、私たちが反対する理由はない。ただ萌奈は、今あなたのことを覚えていない。それでもいいんですね?』
『はい』
もう一度、萌奈が俺を好いてくれる保証はない。けれど、きっと大丈夫だと、根拠のない予感みたいなものが俺を突き動かしていた。
『では、協力しましょう。娘をよろしくお願いいたします』
夫妻は頭を下げた。
こうして、俺は偽装結婚の段取りを整えた。最速で家具をマンションに搬入し、元々彼女が住んでいたように繕った。



