タンっ。




自分の靴が廊下を踏む音。




ハア。



吐息が上がる。




紅葉(くれは)たちの学校より広い校舎。



よくわからない、測量室とかあって



やみくもにそんな部屋を横目に




廊下を通り抜ける。




わたし



何で…こんな必死に



走ってんだっけ?




紅葉は思う。



萌と別れて…




正確には萌がアラタくんに確保されて




どれくらい?



わたし、まだ逃げないと?




「キャっ」



少し止まりかけた足で



廊下の角曲がったら




こちらに歩いてきてた集団と




ちょうどぶつかりそうになった。



急ブレーキした身体が




先頭の人と



軽く接触してしまって。



「ご、ごめんなさ」



言いかけた紅葉の頭上から




「…紅葉?」



どきん。心臓のおと。




知ってるこえ。




ゆっくり、紅葉が見上げたら…




ふんわりした前髪が長めのショートヘア。




赤褐色の抜けた髪の下に



色素の薄い茶色いひとみ。



耳元でリングのピアスが揺れてる。




先輩…。




あのころと…変わらない先輩がいた。




「久しぶりじゃん。」




先輩が言った。




「何やってんの?




遊びにきたん?」



まるで、あの別れなんて無かったように




笑みさえ浮かべて、



たずねる先輩。




言葉が出ない紅葉。




まさか、先輩に会うなんて…。



そんな紅葉に



「ちょうどいいじゃん。



お茶くらい付き合ってよ」



何を思ったか、紅葉の手を引こうとする



先輩。



は?



何、この…罪の意識の無さ?




無かったことになってる?





あの別れなんて、




私のことなんて、しょせん




その程度だったんだろうな…。




正直、紅葉は




先輩のその〝軽さ〝に怒りよりも呆れた。




でも、それよりも、自分の感覚に戸惑っていた。





ずっと思ってた。




もし、偶然 先輩に会ったら




どうなっちゃうんだろう。




まだ、心が痛かったこと思い出すのかな。






心が痛かったこと思い出して





今も



自分の心は痛むのかな。





そんなこと思ってた。




でも、今は…?




そんなことぼんやり、思って。




先輩にとられた手、みてたら




空気が動いた。




「さわんな」




その声といっしょに




紅葉の身体は後ろに引っ張られる。




トン。




後頭部に硬い感触。





え?




斜め後ろを見上げると




そ、




奏ちゃん…。





「あ?何だお前」




そう言って、凄みかけた先輩のトーンが




変わる。




「…って、奏?」





「…パイセン」奏ちゃんも言う。





「何だ、今奏と付き合ってんの?」




半笑いの先輩。




奏に向き直って




「そんな顔すんなよ。




別に、手出してねえよ。」




軽い口調でそう言って、




紅葉には




「じゃあな、紅葉」




勝手に言い終えて




去って行く先輩。





残された紅葉と…




汗だくの奏ちゃん!




紅葉はまだ、腕をとられて




硬い奏ちゃんの胸を背中に感じて




まるで奏ちゃんに、後ろから



抱きしめられているみたいで…。




「ハア…。



きっつ」



そう言った奏ちゃんは



少し俯いて息を整えてる。



紅葉の肩に



奏ちゃんの柔らかい前髪が揺れて、



吐息が耳元で聞こえる。



ドキドキする…自分がやばくて



近すぎる距離に



紅葉は無言で




逃げるように離れた。




そんな紅葉に




「元カレかよ」



やっと声を出せた



奏が言う。



う。




言いたくない。





「…奏ちゃんに関係ない」
 



紅葉は言ってしまう。




「奏ちゃんこそ…知り合いなの?」




「地元の先輩」




汗をぬぐいながら



答える奏。




「え。そうなんだ。



中学校の頃の先輩ってこと?



まだ、先輩と仲良い?




遊んだりとか…するの?」




いっぱい質問をぶつける紅葉に




「…



お前ムカつくな。」奏が言った。




え?




「何が聞きてえんだよ?」



奏ちゃんの右手が紅葉を

 

急に引っ張った。



ドキン。




引力に負けるみたいに




奏ちゃんとの距離が




無くなる。




右手を掴まれたままで、




まっすぐ見つめてくる




奏ちゃんの瞳が




見上げる紅葉の目の前にあって




勝手に心臓の音が早くなる。




「べ、別に」



何でもないフリして



紅葉は目を逸らした。



けど…




何でもなくないーっ!



だって、奏ちゃんと先輩が知り合いなんて




…やだっ!




なんで、よりによって




先輩と奏ちゃんが知り合いなの?




奏ちゃんに、



わたしの…




先輩とのことなんて



知られたくない。



…やだーっ。



その拒絶するような紅葉の声と態度に




空気が、



二人のまわりが



静かになったように感じる。




「何だ、パイセンに会いにきたの?」




奏が



後ろ姿の紅葉に静かに言った。




え?



「違うよ。そんな訳ない」



振り返った紅葉に




「じゃあ、何。



ナンパされにきたのかよ。」




奏のバカにした言い方に





「は?」何言って




「なに、来てんだよ」




ちょっとイラついたような奏の言葉。





何で?




わたしはただ…



「若業の文化祭なんて、



ナンパ祭りって言われてんの



知らねえのかよ




捕まったらどうすんだよ」




えーっ。




そんなの、知らなかったし!



それで?




心配して




こんなに




走ってきてくれたのかな?




紅葉はそう思った。




けど、でも



奏ちゃんがあんまりにも




嫌そうな言い方するから。




だいたいナンパ目的って。




そんなわけ、ないじゃん。



わたしは…




「そ、そんなの。



でも別に。だからって、



ひとりでも、大丈夫だし。




相手にしなきゃいいだけでしょ?





自分で何とかできるし」




…だって、わたしはただ



奏ちゃんに…




グイ。



紅葉は身体ごと引っ張られた。




ドキン。




はねる心臓の音。




タン。



奏の右腕が紅葉の右手ごと壁につく。




「そ、奏ちゃん?」




空中にあった紅葉の左手も



奏の右手が壁に押し付ける。



奏ちゃん?




奏は何も言わずに、紅葉の動きを



奪う。



紅葉の視線を捉えたまま。



ドキンドキン。




焦って、あらがおうとする紅葉の




両手を



何でもないように片手で掴む奏。




なに?




逆らう暇もなく



自分の両手は頭上に固定されていて、




近い奏ちゃんに…



やだ。



ドキドキしすぎる。




じっと見つめてくる奏ちゃん。




怒ってる…?




わからなくて、動けなくて




紅葉は戸惑うだけ。




何で、こんなことするのーっ?




「…で?




なにが大丈夫なんだよ?」




ちょっとクビを傾げて




奏ちゃんが言った。




え?



それで?



紅葉にわからせるために



こんなこと?



片手で簡単に身動きを封じられて



こんなの、奏ちゃんの…自由になる



みたいじゃん。



奏の見下ろすひとみは笑ってなくて。



こんなに



心臓がバクバクうるさいのも



きっと、



わたしだけでしょ?



「こ、こんなの…



ずるい。



は、離して!」




抗う(あらがう)




紅葉の言葉なんて




届いてないみたいに





奏ちゃんの手はびくともしなくて




それどころか、降参しない紅葉に




口を少しへの字に曲げた奏。




とん。



奏ちゃんの、空いている手の




人さし指が




紅葉の、鎖骨に着地した。



ぴくん。




紅葉の身体が震える。




「そ、奏ちゃん」




ツ。



ゆっくり奏の指が



紅葉の肌を下へなぞっていく。




ひゃっ。




何考えてるかわからない奏の瞳は




紅葉を見つめたまま。




「そ、奏ちゃんっ。



何?」




無言の奏の指が



紅葉のトップスのえりもとに




触れる。




ツ、ツツ…。



その布地の段差の抵抗をものともせず




奏の指は服の上を進むから




焦る紅葉の肌は




ほんのり赤くなって、




ピクって、過剰に反応してしまう



自分がいや。




苦しいくらいドキドキして。




身体が熱くて…




どうしたらいいのっ!?



「そ、奏ちゃ…」



なのに、そんな紅葉に




おかまいなく奏の指は




ゆっくり紅葉の身体を辿って…




や、そこは…?



ツツ。




ピクん。





っっもう、もう、もうっ。



「そ、奏ちゃんっ。




ゴメンナサいっ。




…わたしが、間違ってました!」





半泣きの紅葉に





「…わかれば、よし」って




笑いもせず



奏がパッて、手を離した。



何でもないように歩き出す奏。




そのひとり冷静な奏に、




もーもー




このドエスっ。



涙目の紅葉はこころの中で




奏の後頭部に叫んだ。