この春無事に大学生となった俺には、最近ちょっとした悩み事がある。

 悩み……というよりは、心配事に近い。
 最近、花音の様子がどうもおかしいのだ。

 目の前で食事をする花音をチラリと見てみると、小さな溜息を吐いてばかりでさっきから一向に箸がすすんでいない。

「花音、どうした? ……何か悩み事でもあるのか?」
「えっ……?! い、いやぁ……。べっ、別にっ? なっ……何もないよ?!」

 明らかな動揺を見せる花音に、少しだけ細めた目で疑いの眼差しを向ける。

 すると、そんな俺の視線に気付いた花音は痙攣った顔をしてヘラッと笑った。

(……怪しい)

 絶対に何か隠している。

(一体、何だっていうんだ。俺には言いにくい事なのか? ……もしかして)

「響との事か……?」

 その言葉にピタリと動きを止めた花音は、焦ったようにして急に席を立ち上がった。

「……っな、何だか眠くなってきちゃったなー?! 私、もう寝るねっ! ご馳走さま、お兄ちゃん! おやすみっ!」

 口早にそう告げると、バタバタとリビングを去って行った花音。

(何なんだよ……。怪しさ全開じゃないか)

 眺めていた扉からテーブルへと視線を移すと、花音が残していった食器を見て小さく溜息を吐く。

「全然食べてないじゃないかよ……」

 ほとんど口のつけられていない、花音の大好物のハンバーグ。
 それを眺めて、もう一度小さく溜息を吐く。

「俺が立ち入る事でもない……か……」

 とはいえ、やはり気になるのが俺の性分。

 無理矢理聞き出す事も……まぁ、できなくはない。
 だけど、あまりしつこくして花音に嫌われたくはない。

 花音だってもう高二だ。

(色々と俺には干渉されたくない事もあるだろうし、ここは一先(ひとま)ず黙って様子を見とくか……)

 そんな考えに落ち着くと、止めていた箸を再び動かす。

「昔は何でもすぐ、俺に頼ってきてたのにな……」

 一人きりになったリビングでポツリと小さく呟くと、俺は食べかけだったハンバーグを口の中へと入れたーー。






 ※※※







 ーーそれから数週間後。

 花音の様子を黙って見守っていた俺は、相変わらず態度のおかしい花音に頭を悩まされていた。

 回復するどころか日に日にその表情は暗くなり、色気より食い気のはずのあの花音が食欲までないのだ。

(おかしい……。絶対におかしい。一体、響と何があったんだ……?)

 花音の横にいる響へとチラリと視線を移してみると、相変わらず呑気にヘラヘラと笑っている。

(わからない……。響との事じゃないのか?)

 元々ズレている響を見ても一体何があったかなんて解るはずもなく、俺は小さく溜息を吐くと花音へと視線を戻した。

「……花音。ほら、ちゃんと食べないと……体がもたないぞ?」

 用意された朝食を前に、一向に手を付けようとしない花音を見て酷く心配になる。

 俺の言葉に何の反応も示さない花音は、ただジッと黙ったまま俯くばかりで、俺はどうしたものかと小さく溜息を吐いた。

「ーー花音、どうしたの? ちゃんと食べないとダメだよ?」

 そう言って覗き込む響に対しても、俯いたままで無反応な花音。

 やっぱりおかしい。

(どこか具合でも悪いのか……?)

「……どうしたんだよ、花音 。何かあるなら言いな、ちゃんと聞くから。……何があった? 具合でも悪いのか?」

 優しくそう問えば、花音は俯いたまま小さく首を横に振った。

(いや……絶対に何かあるだろ。何でそんなに頑なに言わないんだ……?)

 優しく問うても何も言おうとしない姿に、妙な不安を感じて目の前の花音をジッと見つめる。

 すると、そんな俺の気持ちを察したのか、花音は今にも泣き出しそうな顔で小さく笑うと口を開いた。

「ほ、本当に何もないよ? 大丈夫だから、心配かけてごめんね。……いただきます」

(何だよ……その顔。……全然大丈夫じゃないだろ)

 何も打ち明けようとしない花音を見て、俺の不安は益々膨らんでゆく。

(……俺じゃ、そんなに頼りないのか? なんで何も言わないんだよ……。両親が留守の間、花音を守ってやるのは俺の役目なのに。肝心のお前から頼りにされてなかったら……これじゃ、全然ダメじゃないかよ)

 目の前にいる小さな妹を見つめ、自分の不甲斐なさに落胆する。

「……っう。気持ち悪っ」


 ーーー?!


 突然、目の前で朝食を食べ始めようとしていた花音が、そう言って真っ青な顔をして口元を抑えた。

(やっぱり、具合が悪かったんじゃないかっ……! 何で言わないんだよ!)

「……おい、花音っ! 大丈夫か?!」
「無理……っ」

 余程具合が悪かったのか、花音は慌てて席を立ち上がるとリビングを出て行く。

 それを追いかけるようにしてリビングを出た俺と響は、開かれたままの浴室所へ入ると口を開いた。

「……大丈夫か?!」
「……花音っ! 大丈夫?!」

 洗面所で嘔吐している花音を見ると、酷く辛そうでとても大丈夫そうには見えない。

「風邪でもひいたのか?! ……熱は?!」

 心配そうに花音の背中を(さす)る響の横で、俺は花音の額に手を当てるとその熱を測ってみる。

(熱はないみたいだけど……。これは、病院に連れて行った方がいいな)

 滅多に風邪などひかない花音が辛そうに嘔吐し続ける姿を見て、軽くパニックになった俺は保険証はどこにあったかと、一瞬そんな事を考える。

「病院行くぞ、花音。自力で歩けるか? ……歩けないなら俺が連れてってやるから」

 そう言って抱え上げようとすると、花音は辛そうにしながらも俺の手を制した。

(……?)

 とても辛そうな顔をしながら、涙目になった瞳で俺を見つめる花音。

「……違うの」

(え……?)

「病気じゃない……っ」

 そう告げると、ボロボロと泣き出してしまった花音。

(……えっ? じゃあ、何でこんなに嘔吐してるんだよ。それに……何でそんなに泣くんだ……?)

 次から次へと涙を流し続ける花音を見て、俺の心拍数はドクドクと早鐘を打ち始めた。

(嘘、だろ……っ)

 最近、めっきりと食欲の落ちてしまった花音。
 朝食を食べようとした途端に具合が悪くなった花音。
 俺に何も話そうとしない花音。

 ーー全て、合点がいく。

(でも……っ。まさか……)

「……花音……っ。お前、妊娠してるのか……?」

(……そんなわけあるかっ)

 自分で言った言葉にそんな否定をしながらも、目の前で泣き続ける花音を震える瞳で見つめる。

 違うと言ってくれ。そんな願いを込めてーー。

「……っ……お兄ちゃ……っどうしよう……。私……っ、赤ちゃん……できちゃったよぉ……っ」

 そう答えた花音は、クシャリと顔を歪めると号泣し始めた。

(嘘……だろ……っ?)

 愕然(がくぜん)とする俺の顔からは一気に血の気が引いてゆく。

(っ……誰か、嘘だと言ってくれ……)

 小さく震えて泣き続ける花音の姿を見て激しく動揺した俺は、顔を歪めると花音を抱き寄せギュッと抱きしめた。

「大丈夫……っ、大丈夫だから……。花音、心配するな……っ」

 そんな事を言ったって、どうすればいいのか解らないのは自分も同じくせに、俺はまるで自分に言い聞かせるかのように何度も「大丈夫だ」と繰り返す。

(……どうすればいいんだよ。花音はまだ、高校生なんだぞ……っ)

 そんな事を考えながら、腕の中にいる小さな花音をギュッと抱きしめる。

「……っ花音! 本当にっ?! 本当に妊娠したのっ?!」

 それまで固まったまま動かなかった響は、突然嬉しそうな声を上げると花音の肩を掴んだ。

「……ひぃ……っぐ……っ……」
「おめでとうっ! 花音っ!」

 泣きながら響を見上げる花音に対して、「おめでとう」と言って嬉しそうにヘラヘラと笑っている響。

(何が、おめでとうだ……っ。こんなに泣いてるじゃないか……っ……! 何でちゃんとしてやらなかったんだよ……っ! 俺はっ……お前の事を信じてたんだぞっ?!!)

「……響っ!!!」

 そのあまりに酷い態度に頭にきた俺は、響の胸倉を掴むと鋭く睨んだ。

「何やってるんだよっ?! ……妊娠なんてさせるなよっ!! 花音はまだ、高校生なんだぞっ?!!」
「どうしたのー? 翔。心配しなくても大丈夫だよ、結婚するんだからっ」

 ニッコリと笑ってそんな事を言い放った響。

(大丈夫ってなんだよ……っ。これのどこが、大丈夫なんだよ……っ?! どう見たって同意じゃないだろっ!!)

 涙を流し続ける花音をチラリと見て、俺は悔しさに顔を歪めた。

(何でっ……何でもっと、大切にしてくれないんだよ……っ! ……っお前は絶対に花音を傷つけないって、信じてたのに……っ!!!)

「……っふざけんなっ!!!」


 ーーー!!!


 胸倉を掴む手をミシリと(きし)ませた俺は、悔しさに顔を歪ませたまま怒り任せに拳を振り上げた。