「わぁー凄いっ! 人がいっぱいだね!」

 沢山の人で埋め尽くされた海岸を見て、私は驚きの声を上げた。

 八月に入って夏休みのピークを迎えた今、目の前の海岸は家族連れや若者達で溢れかえっている。

「花音。目の届くとこにいろよ」
「うんっ!」

 心配そうに私を見るお兄ちゃんに返事をすると、彩奈に視線を移して口を開いた。

「彩奈、行こっ!」

 私は笑顔でそう言うと、彩奈の手を取って海岸へと続く階段を降りて行く。

「よく海なんて許してもらえたね」

 相変わらずクールな彩奈は、私の顔をチラリと見ながら普段と変わらない表情でそう言った。

「うん。ちょっと色々あってね……」

 そう言って苦笑すると、彩奈は「ふーん」と言いながら海岸へと視線を移す。

 子供用プール事件の後、私を(あわれ)んだお兄ちゃんは海に行く事を許してくれたのだ。

『絶対に俺の目の届くところにいる事』

 そう条件を付けたお兄ちゃん。

(本当は学校の友達と来たかったけど……。仕方ない、海に行けるなら良しとしよう)

 そう思った私は今、勝手に付いて来たひぃくんと、私が誘った彩奈と、四人で近くの海へ遊びに来たのだ。

 浜辺へと着いた私は、早速彩奈と二人で服を脱ぎ始める。
 水着は着て来たので、あとは洋服を脱げばいいだけ。
 着替えを始める私達の横では、お兄ちゃんとひぃくんがパラソルの準備をしている。

「なんなの、それ」

 着替え終わった彩奈が、私を見て口を開いた。

「……だって、お兄ちゃん達が……」

 太腿まであるダボダボのTシャツを着た私。
 勿論下には水着を着ている。
 でも、脱げないのだ。

 人前で絶対に水着になってはダメだと、ひぃくんが昨日自分のTシャツを渡してきた。
 それにはお兄ちゃんも賛成だった様で、今朝、嫌がる私に無理矢理着せたのだ。

 最初はTシャツを着ていなかった私。
 そのまま出掛けて、海に着いた時に家に忘れたと言おう。
 そんな風に考えていた。

 出掛ける直前に服を脱がされた私は、お兄ちゃんにTシャツを着せられてしまった。

(妹の服を無理矢理脱がすなんて最低だよね……。それにしても、何でバレたんだろう?)

 お兄ちゃんには私の考えは全てお見通しの様だ。

(……本当に、恐ろしい鬼)

「ダサッ」

 私を見つめる彩奈が真顔でそう言った。

(……酷い。確かに今の私の姿は凄くダサイ。でも、そんなにハッキリと言わなくても……)

「……ごめんね」

(一緒にいるの恥ずかしいよね……?)

 少し顔を俯かせた私はチラリと彩奈の様子を伺う。
 そんな私を見て呆れたような顔をした彩奈は、小さく溜息を吐いた。

「私は別に平気だけど。真夏にカーディガンなんて着てるからおかしいと思ってた。……花音も大変ね」

 そう、Tシャツが大きすぎて袖が服からはみ出てしまうので、私はカーディガンを着てここまで来たのだ。

(地獄のように暑かった……。その苦労を彩奈はわかってくれるのね? なんて素敵な友よ……!)

「一生ついていきます!」
「は?」

 ガバッと抱きつくと、彩奈に塩対応をされる。
 でも、決して嫌がらない。そんな優しい彩奈。

「ーー花音」

 彩奈に抱きついたまま声のする方を見ると、ニコニコと笑顔のひぃくんが両手を広げて立っている。

 小首を傾げてニコニコと私を見つめるひぃくん。

「行ってあげたら? 待ってるよ」
「えっ……。やだよ」

 何故か、私が抱きつくのを待っているひぃくん。

(するわけないのに……)

「海に入ろうよ」

 私はそう言うとひぃくんを無視して彩奈と歩き始める。

「……見えるところにいろよ」

 後ろからお兄ちゃんに声を掛けられ、私は「はーい」と返事をしながら海岸を歩く。

 周りは勿論水着だらけで、Tシャツを着た私は結構目立っている気がする。
 私は手に持った浮き輪を頭から被ると、Tシャツの上から腰に装着した。

(うん、何となくマシな気がする……)

 そう思った私は、隣で冷めた顔をする彩奈に気付かないまま海へ向かって歩いていた。

「花音可愛いねー。陸で浮き輪つけてるよ」
「目立ってるな……」

 お兄ちゃん達がそんな事を言っていたとも知らずに……。



 ※※※



「二人とも凄く可愛いねー」
「二人で来たの?」

 彩奈と二人で海に入っていると、いつの間に来たのかチャラそうなお兄さん達。
 勝手に私の浮き輪に掴まっている。

「おに……」
「鬼……?」

 お兄ちゃんと来てると言おうとした私は、途中でその言葉を止めた。

(お兄ちゃんと来てるって言うより、彼氏って言った方がいいのかな……?)

 以前、彩奈が言っていた嘘を思い出したのだ。

 チラリと彩奈を見ると、嫌そうな顔をしながらもう一人のお兄さんと会話をしている。

「ねぇねぇ。何でTシャツ着たまま海に入ってるの?」

 私の浮き輪に掴まるお兄さんに視線を戻すと、私と目の合ったお兄さんはニコリと微笑んだ。

(ですよね……。変ですよね。私だって聞きたい。何でTシャツ着なきゃいけないの?)

 私は小さく溜息を吐くとお兄ちゃん達の方を見た。

 ーーー!?

 海岸にできた人集(ひとだか)りを見て驚愕する。

 一点に集中してできた沢山の女の人達の群れ。
 その中心にはなんと、お兄ちゃんとひぃくんがいるではないか。

(最悪だ……)

 お兄ちゃんに何とかしてもらおうと考えていた私。
 どうやら、自分で対処しなければならないらしい。

(目の届くところにいろって言ってたくせに……。全然見てないじゃんっ!)

「水着忘れちゃったの?」
「……えっ!?」

 お兄ちゃん達から視線を戻すと、ニッコリと微笑むお兄さんと視線を合わせる。

「あっ……。水着はちゃんと着てます」
「そうなの? じゃあ脱いだら?」

(脱げるものなら脱ぎたいです……。でも、脱げないんです……お兄さん)

 私は黙ったまま目の前のお兄さんを見つめた。

「見たいなー? 水着。見せてよ」

 ーーー!?

 そう言って私の足に片手を滑らせたお兄さん。

「え……っ!?」

 そのまま私の着ているTシャツを脱がそうと、足元からTシャツを捲り上げてゆく。

(手……っ、手が……っ!)

 ツーッと腰をなぞられる様に触れられ、私の身体から一気に血の気が引く。

「やっ……やめて下さいっ!」
「大丈夫、大丈夫ー」

 そう言ってニコニコと微笑むお兄さん。

 慌てて片手でお兄さんの手を抑えると、カナヅチな私は片手でしっかりと浮き輪に掴まりながらジタバタと暴れ出す。

(ヤダヤダヤダヤダ! 全然大丈夫じゃないよっ! 触らないでっ!)

「ごめんごめん。そんなに暴れないでよ」

 アハハッと笑うと、すんなりと手を離してくれたお兄さん。
 そんなに悪い人ではないらしい。

 解放されてホッとした私は、再び両手でしっかりと浮き輪に掴まる。
 ーーとその時、グンッと身体が動いたかと思うと、浮き輪ごと身体が後ろへ持っていかれた。

 目の前のお兄さんは、一瞬驚いた顔を見せると私の背後を見て口を開いた。

「この人が……鬼? 鬼ってゆーより……王子様かな?」

 ニッコリと微笑むお兄さん。

 その言葉に後ろを振り返ってみると、私のすぐ後ろにはひぃくんがいた。
 私の浮き輪を片手で掴んだまま、目の前のお兄さんを鋭く睨みつけるひぃくん。

(ちょっと怖い……かも)

 普段は見せない表情をするひぃくんに、何だか少し萎縮してしまう。

(さっきまで海岸にいたのに……。来てくれたんだ)

 私の視線に気付いたひぃくんは、直ぐに優しい瞳になるとニコリと微笑んだ。

「花音。大丈夫?」
「……うん」

 いつも通りの優しい声と表情に安堵した私は、硬くなっていた身体から力を抜いた。

 彩奈の方を見ると、そこにはお兄ちゃんの姿がある。
 どうやらお兄ちゃんは彩奈を助けてくれたみたい。

(二人とも、ちゃんと来てくれたんだ……)

 お兄ちゃんに肩を抱かれた彩奈を見ると、何だか少し顔が赤い気がする。

(どうしたんだろう……?)

「君は……この子の彼氏くんかな?」

 私達を見ていたお兄さんが、ひぃくんに向けてそう質問をする。

 その声に反応したひぃくんは、後ろから私を抱きしめると口を開いた。

「そうだよ。だからイジメないで」
「ごめんごめん。イジメたつもりはなかったんだけどなー」

 困った様に笑ったお兄さんは、そのまま私に向けて視線を移した。

「そのTシャツは彼氏くんのせいかな? 随分と愛されてるね」

 そう言ってニッコリと微笑むお兄さん。

(……っ愛?! いやいや、まさかっ! そもそも、彼氏だなんて嘘ですから! この場を切り抜ける為の嘘ですよ?! お兄さん!)

 せっかくの嘘を否定するわけにもいかず、私はただ黙って小さく笑った。
 たぶん、引きつっていたと思う……私の顔。

 その後、すんなりと退散してくれたお兄さん達。

 相変わらず顔の赤い彩奈に近付くと、私は彩奈の顔を覗き込んで口を開いた。

「彩奈? ……どうかした?」
「えっ?! 別に……。どうもしてない」

 一瞬、動揺したような仕草を見せた彩奈を不思議に思いながらも、無事なようなので安心する。

「……やっぱり、二人だけで遊ぶの禁止」

 私達を見て小さく溜息を吐いたお兄ちゃんは、そう言うと私の浮き輪を引っ張った。

「わかった?」と言って私を鋭い目で見てくるお兄ちゃん。

(そんなに怖い顔しなくても……。私は嫌だなんて一言も言っていない。まぁ、言おうとしてたけど)

 今こうして、お兄ちゃんに先手を打たれてしまった。

(……やっぱり恐ろしい鬼だ)

「わかりました……お兄様」

 私は隣にいるお兄ちゃんを見ると、引きつった笑顔でそう返事をしたーー。