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九月も終わる頃、ようやく涼しい風が吹き始めた日曜日。婚約の挨拶は、榛名の家がよく使う料亭で行われた。
湯島の天神様の近くにある古い料亭に、私と両親はタクシーで到着した。振袖を着たお嬢さん。いかにもなお見合いの構図だわ、と頭の中だけで思う。
「公平、すまないね。今日は」
玄関に入ったところでひと足先に来ていた榛名家と遭遇した。竜造おじさまが父に声をかける。
「いやいや、いいんだよ。竜造」
従弟同士の竜造おじさまと父は兄弟のような関係。口調こそ兄弟間のものとはいえ、父は精神的にも仕事的にもおじさまに頭があがらない。
この結婚が最たるものだ。
「まあ、咲花ちゃんの綺麗なこと」
「いえいえそんな」
母親同士も笑顔だ。うちの母はずっと不機嫌だったけれど、ここに来てみれば笑顔になれるのだから、女というのは大概だわと自分のことを棚に上げて思う。
「咲花、今日はありがとう」
佑が私の横に並んで言った。会うのはあの雨の日以来だ。傑との婚約破棄を詫びに来てくれた二ヶ月前。たった二ヶ月で状況が一変してしまったことを彼はどう思っているだろう。
「いいえ。佑、今日は格好いいのね」
佑の色味の薄い瞳は、近くて見るとすごく綺麗なのだ。無遠慮に覗き込めるのは妹の特権。
「今日は、ってなんだ」
佑は少し笑って、私を優しいまなざしで見つめる。
「咲花は綺麗だよ」
「それはどうも」
「黒地に紫の芍薬。咲花が着ると迫力があるのに上品に見えるな」
「迫力って、着物を褒めてるのよね」
「顔立ちも迫力がある美人だよ」
私たちはお互いに慣れ過ぎていて、こんな言葉もお互いをドキドキさせたりしないのだ。なにしろ、私は嫌になるほどわかってしまう。



