「入ってくるときはノックしてね」

「お兄ちゃん、出て行くの?」

「出て行くんじゃなくて、一人暮らしするんだよ。家出みたいに言わないでね、絵里」

「逃げるんじゃん」

「社会人になったし、貯金もある程度たまったからね。一人暮らしは男の夢だよ」

「女連れ込んでヤル事しか考えないなんてキモい」

「そうかな、普通でしょ」

「キモいし、嫌い、ってかなんか臭い」

「……そっか、気をつけるよ。ごめん」

「ふんっ、バイバイ」


 と血の繋がらないお兄ちゃんと話したのは1ヶ月前。

 もちろん全く臭くないし、ハリウッドスターだって霞む程、お兄ちゃんは綺麗な整った顔といい身体をしている。



 あなたには懐かしいと思う記憶がありますか?

 私にはある。

 私は血の繋がらないお兄ちゃんが懐かしい。
 初めて会った時から不思議と懐かしい。

 私は北条(ほうじょう)絵里(えり)19歳。ハーベストローズデザイン専門学校商業デザイン学科に通っている一年生。好きで入った専門学校だったのに、まわりが優秀過ぎて面白くない。

 まだ一年生なのに、もう就職の話が出ている。何も楽しくない。それはそうだ、こんなにデザインが溢れかえっている世の中に、さらにデザインをしろというのが間違っている。

 家も可もなく不可もない。普通のサラリーマンのお父さん。普通のパートと近所の人とのランチが好きなお母さん。そして一応…のお兄ちゃん。

 お兄ちゃんはお父さんの親友だった人の一人息子さん。両親共事故で亡くし、記憶喪失になったお兄ちゃんを親戚が擦り合いをしたからってウチで引き取った。

 今はもう記憶は戻ったみたいだ。それは一安心だ。


 それはいいが、何をしても全く楽しくない。のに何故かお兄ちゃんが気になる。

 学校でもカラオケのバイトでも、お兄ちゃんが頭を過ぎる。
 オタクの友達と遊ぶ時だけはお兄ちゃんを忘れるから好き。最高だ。アニメショップの常連客だし。アニメの話とかめちゃくちゃ楽しい、けど、それだってお兄ちゃんそっくりのキャラが好きになる。撃沈。

 最近、どの漫画もアニメもお兄ちゃんっぽいのが多い。やめてほしい。


 お兄ちゃんをよく罵倒するが、キモいのは私だよね…。

 お兄ちゃんは日本人じゃない。日本の血は一滴も入ってない。両親共にノルウェー人だから、身長が高く色素が薄い。

 190センチで小さな顔に長い手足、身体に似合う鍛えたボディライン。街を歩けば誰かしらに声をかけられている。

 昔から本心を語らない兄。いつも優しく笑っているから私は攻撃的になる。



「ねえ、絵里ちゃん!! 新しいグッズ出てるよ!! やばい大佐カッコいい!!」

「本当だ、クリアファイルだね!! 色男な感じが出てるっ、これは買いだね!!」


 友人の麻衣子とキャラグッズをゲットして、ほくほく顔で歩いていたら出会った。彼女を連れたお兄ちゃんと。日曜日だし、そりゃ出会う事もある。

 一人暮らしの家だって、近いちゃ近い。何が近いって、私の通う専門学校の近く。偶然もあるだろう。


「あれ、絵里?」

 無視を決め込む。他人のふりだ。だって腕に巻きついている巨乳の女が睨んでいるしな。要領がよい私は他人のフリをする。


「絵里!!」

 無視だ無視。


「絵里ちゃん、呼ばれてるよ…お兄さんに」

「いこっ」


 私はこれ以上巨乳女とお兄ちゃんを見たくなくて、小走りでその場を離れたら、走ってきた兄に進路を塞がれた。

「なっ!?」

「絵里、無視しないでよ。久しぶりなんだからさ。お茶でもどう? カフェに、はいらない? ケーキセットでも奢るよ。ね、お友達も一緒に」

「きゃー、嬉しいです!」

「ちょっと麻衣子!!」


 二次元は神だという麻衣子も、二次元ばりに綺麗な兄にはイチコロで、目をキラキラさせている。彼氏に言うぞ。


「ちょっとぉ、ラルス!! ホテルは!?」

「あぁ、今日は無しでいいかな。はい、タクシー使って帰ったらいいよ」


 兄は財布から1万円札を出して、巨乳の女に渡す。巻きつかれていた腕も、嫌そうに解いた。驚愕に見開かれた女の目は、涙目だ。

 酷い奴だ本当に。これは昔からだ。兄ラルスは己の美貌を分かっているから、こういうのは日常茶飯事で絵里はもう驚きはしない。


「私より、小娘なの!?」

「耳元で喚かないでね。一回寝たくらいで彼女ヅラ?迷惑なんだけど。
 だいたい婚約者がいるよね? 遊びだからっていうから寝たんだよ。遊びを本気にするなんて、馬鹿なの?」

「最低!!!」

「君もね」


 なんとも汚い大人の会話だ。でもお兄ちゃんが女の人と寝てるって聞くと、最低って気持ちと…何故か良かった…という安心の気持ちが同時にわきおこる。

 不思議だ。

 イケメンの兄がとられた的な嫉妬なら理解するが、安心ってなんだろう。私は兄の彼女を見る度に、嫉妬と安心を感じている。

 彼女や身体の関係をもった女は、何故かいつも紹介されるから余計に私が捻くれるのだ。
 わざわざ血が繋がってない妹へ、律儀に紹介してくる奴がいるか? 俺を好きになるなという牽制か?

 しかし絵里から兄に付き纏った記憶はない。当然迫ったこともない。
 好きか嫌いかと問われたら好きだと答える。だけど、それから次のステップには登らない。流石にハナから考えた事もなく。

 兄と言えど性も違うし、学費やら生活費、教育費まで両親が残した遺産で賄っていたから、平凡家庭の私とは本当にただの同居人だった。

 一人暮らしになれば、もう赤の他人も同然。兄と呼ぶのもおこがましいのではないか…と絵里は最近思っている。そう、この兄との不思議な関係性の疑問はつきない。



「さあ、行こう!!」

「絵里のお兄さんって、めちゃくちゃカッコいいけど。本当っに最低ですね!」

「麻衣子ちゃん、ケーキはいらないかな?」

「申し訳ございません。いります!!」


 麻衣子は敬礼しながら、意地汚く強請る。ケーキの為なら謝罪くらい構わないってか。麻衣子らしい。


「お兄ちゃん、流石にあれは酷いと思うけど」

「証明の為だから、たまには証明しないといけないんだ。そうしないと…
 ……絵里はまた木になるだろう…あんな思いは、もうたくさんだ…」

 歩き出したし、最後の台詞が聞こえなかった。


「なにか言った? お兄ちゃん?」

「なにも。さ、行こうか」


 兄の癖、時たま考えて止まる。何を頭で考えているのだろうか? イケメンの思考は凡人には分からない。

 不思議には思うが、面倒なので突っ込んで聞かない。




 ***


 我が国は魔法大国と言われている。基本的に魔法は貴族が使えた。

 自然界の突然変異で、たまに膨大な魔力を保持する者が生まれ落ちる。

 そうして生まれた私は中流家庭の平民だ。

 魔力が強くたまたま頭も良かったから、王子の家庭教師兼話し相手にもなっていた。12歳も下の可愛い王子様だ。

 師匠気分、母親気分、お姉さん気分、侍女気分、そしてほんの少しの絶対に口にしてはいけない恋人気分。

 20年という月日は残酷で、私は王子の気持ちが恐かった。同じ人を一度の脇目も触れず20年間愛し続けるのは、どこか壊れているのではないか。


 どこからか間違えた。いつ?どこで?分からない。私はもう39歳だ。



「王子様、お願いです。私はもう39歳。子供は望めません。妃にはなれません」

「もう? 私は何度も何度もエマがいいといった!!子供、子供、子供、子供がなんだ!?
 弟の息子もいる。妹にも息子がいる。私に子供は必要ない。エマだけでいいのに、何故わかってくれない!!」


「隣国のお姫様との縁談が決まりました。20歳の若く美しい女性です。27歳の王子様にはお似合いです。向こうは王子様に一目惚れなさっております。
 どうぞ、幸せになってくださいませ」

「エマ!! 私がいやなら、はじめからそういえ!! 幼かったからと馬鹿にするな!!」


「王子様、私は王子様を愛してますよ」

「私を愛していても、妃にはならないと」


「私は魔力が高いだけのただの平民です。平民が王族と結婚などと。ましてや未来の国王となる方となど、天地がひっくり返ってもあり得ません」

「…お前はいつもそうだ」


「王子様のお気持ちは、本当に嬉しく思います。どうか幸せになってください」


 真っ黒なローブを纏う地味な私は、深く頭を下げた。


「分かった、なら最後にエマを抱きたい。抱かせてくれるなら、隣国の姫と結婚する。
 何も知らないと恥ずかしいから練習させてくれ」

「…練習…ですか。それならば教師がおります。私は…お恥ずかしながら経験が無いので、練習代になりません」

「一度くらい、私のものになってくれ」


 苦しそうにしぼり出された声に、絆されてしまう。仕方ない。最初で最後なら…そして、私が消えればいい。


「分かりました。では、一度だけ宜しくお願い致します」



 噛み付くような口づけが降ってくる。小刻みに動く舌は口の中を這いまわっている。柔らかくて気持ちいい。

 ちょっと崩れかけの私の身体。39歳ならそんなものだ。ぴちぴち10代、20代と同じ訳はない。

 人に触られる心地よさは雲の上を歩くようだ。

 王子様の長身と均整とれた肉体美。肩より少し長めのアッシュグレーの柔らかな髪が、私の肌を滑り落ちていく。

 長い触れ合いが愛しさを感じる。愛される喜びは一度も開かれた事のない身体を、受け入れるように濡らしていく。はしたない身体だ。

 どこまでも優しく大切に交わってくださる。

 あり得ないほど高貴な人の身体の一部を、私は受け入れている。繋がり合わさった箇所は熱を持ち続ける。

 王子様の苦しげな声で、ますます私の身体は高ぶっていく。


「…王子…様」


 何度目かの口づけ。至近距離で王子様のアーモンドクリームのような瞳の色を見て驚く。そこに映る私は《女の顔》だった。

 喜びに満ちた私の顔は国家の裏切り者だ。


「エマ、エマ、エマ、エマ…」


 必死に腰を振る王子様に、私も絶頂を迎える。熱く放たれたモノは決して身を結ばない。それでも熱い飛沫は感動の涙を零させるには充分だった。

 痙攣しながら抱き合う私と王子様。


「……私の身体は良かったですか?」

「当たり前だ。愛している、エマ、愛してる」


「私も愛しております。ですが、約束通り隣国のお姫様と結婚なさってくださいね」

「…分かった、そんな話しは今したくない」


「失礼しました」

「そうだ、失礼だ」

 裸で抱き合い笑いあった。


 まだ一緒にいたいと渋る王子を笑顔で見送った。私はすぐに身元整理をし、親兄弟、部下、友人、そして王子様に手紙を書いた。

 その足で魔術師長に会いに行き理由を話した。凄い剣幕で止められたが、私は聞かなかった。

 美しい花々が咲き誇る庭園に、私は立って呪文を唱えた。そして私は木になった。

 大きな美しい木は、大地から養分を取るのではなく与えていく。あの純粋で優しい王子様が生きる間くらいは、この大地を豊かにしたい。

 それだけの価値があの行為にはあった。

 エマの人としての人生は39歳で幕を閉じた。一つとして悔いはない。



 ***


 学生では絶対に入らないような喫茶店に入った。セット価格で3000円は高い。
 それもハーブティーならプラスアルファの金額だ。入るのを躊躇っていたが、兄は全く気にせず入店した。

 歴代の営業成績を社会人一年目から塗り替え、大企業とのパイプを何本もつなぎ合わせた、会社のホープ。成績が給料に直結する営業だし、稼いでいるからいいのか?

 まだ残っていた実家の家のローンも一括で、兄が返した。
 両親は恐縮だと受け取れないというも、育てて頂いた恩です。と憎たらしいほど美しい笑みを浮かべていた。



「美味しいぃーー、絵里、これ最高!!」

「確かに高いだけあるわ、美味しい!!」


 はしゃぐ私と麻衣子に、兄ラルスは大変満足そうだ。9つも離れていたら可愛いのだろう。昔から私には甘いし、暴言をはいても怒らない。


「絵里のお兄さんって、木がお好き?」

「嫌いだよ。どうしてそう思う?」


 ラルスは麻衣子の意味不明な疑問に、疑問で返す。


「嫌いなんですか?ヘェ〜 お兄さん目立つし、実は専門学校生にも有名なんですから。
 あの麗しい熾天使である、神に最も愛されていた天使ルシファー様はどなただって。絵里のお兄さんだって言うと虐められるかもだから内緒にしてあげてます。
 私って優しいっ。てことで、アイスクリーム追加していいですよね?」

「アイスクリームの追加はいいよ。あとね、ルシファーは堕天使。サタンだよね?悪魔なんていやだな、そのあだ名やめてね」


 お兄ちゃんは天使より悪魔っぽいけどね。先程の女性への態度を見れば、間違いなく悪魔だ。私は的確な麻衣子の言葉にうなづく。


「お兄さん、人ではなくよく木を見てるから、好きな種類の木があるのかなぁって思って」

「俺は木が嫌いだよ」


 嫌いではないはず、見ているのは事実だ。


「そっかなぁ。お兄ちゃん、よく見てるよ、庭の木とか」


 絵里は実家に植えられた木を見つめるラルスをよく見ていた。悲しげに辛そうに…でも愛おしいそうに。

 そこで絵里に気づくと、ラルスは決まって心臓を握り潰すくらいの強力な微笑攻撃を打ってくる。


「絵里は、今幸せ?」


 ラルスは今までの台詞をぶった切った。そして脈略のない台詞を口にする。本当にあれだ、イケメン過ぎると脳内がおかしくなるのではないか?

 聞かれたから答える。高いケーキと紅茶をご馳走になるのだし。


「別に、普通。幸せよりかな。学校も、バイトも、もう何もかも普通で、就活とかめんどくさい。
 麻衣子と遊ぶのは好きだけど。彼氏とか合コンとかも面倒くさい」

「絵里モテるのに、彼氏作らないよねー」

「麻衣子は二次元好きなわりには、絶対に彼氏いつもいるよね?」

「当たり前じゃん、それとこれは別」


「絵里、学校を卒業したら結婚したらどうかな?」

「お兄ちゃんって馬鹿なの? 合コン嫌だっていうのに、今度はお見合い進めるの? まさかやめてよー」

 ラルスの顔は全く笑ってない。


「絵里、俺と結婚してほしい」


 カチャン…、。

 フォークが落ちた。

 アッシュグレーの髪から覗くアーモンドクリーム色の瞳が、私を射抜く。


「…冗談はよしてよ」

「冗談じゃないよ。マンションも買ったし。おじさんにもおばさんにも言ったし、了承を貰ってる。20歳になるまでは待つ。後は絵里だけ。まぁでも、逃げるなら逃げたらいいよ。
 俺は絶対に諦めないから。逃げて、逃げて、どこまでも逃げたらいいよ。
 この世界に魔法はないから、絵里が木になる心配もない」

「は? なんで? 木? は?」


 言われた内容全てが訳わからない。冗談にして欲しい。美貌の兄は何がしたい?

 ラルスは立ち上がり、財布から2万円を出して、机に置いた。


「これ食事代ね、残りは好きに使ったらいいよ」


 向かいに座る絵里の側までラルスは来てから、上半身をかがめて頭頂部にキスをした。

 そして当たり前のように唇にもキスをしてきた。


「ゥン!?」


 チュッ。なんともヤラシイリップ音を鳴らせて。ファーストキスは奪われた。

 まて、今外だし、となりに友達いるし、全てが軽い。態度は軽いが、兄のアーモンドクリーム色の瞳が恐い。


「これ以上、絵里と一緒にいたら監禁しそうだから、帰るね」


 プロポーズからの犯罪予告!? そもそもプロポーズされた気にはならない。

 綺麗な顔だから迫力が凄い。血の繋がらない兄の戦線布告に胸が熱くなる。凄い事になっているようだ。なんか恐い。

 でもどこか嬉しいと思う私がいた。


 私だけじゃなくて良かった。ちゃんと違う人も愛せる。けれど、私も見てほしい。

 仄暗い独占欲が湧き上がる。




 ***


 私は木になる。

 私は愛する貴方が、隣国のお姫様と結婚して幸せに過ごしている姿を見たいけど見たくない。

 私は高貴な貴方に心底落ちた、心も身体も落とされたから、私は間違いなく裏切り者だ。それでも貴方の側にはずっといたい。

 そして出来れば役に立ちたい。

 木になれば人ではないから、側にいても大丈夫。


「私は凄く汚い女」


 私は自分を嘲笑いながら《木》になった。