“よしっ!!前園よくやった!!”
念願の区内の大会でMVPを取り優勝を果たすと、
“先生!!ありがとうございます!!”
特別嬉しそうな顔をしてもっと期待に応えようと頑張ろうとしてくれる。
そんな素直さもより可愛らしく思えた。
ユリのインタビュー動画にも、雑誌にも、恩師として2ショットで乗ったバスケ雑誌の写真を自宅のユリの部屋に大事そうに飾ってくれてる姿に嬉しく思ったとのと同時に、
関東大会に出るには、東京ベスト3にならないと。そのためにはセンターとガード強化しないと。
学校からもバスケで入学者を増やしたいと校長からの要望を受けていたし、東京ベストは並大抵なことじゃなかったが、ユリの活躍もあり、強豪中学からの部員入学も増えて、彼女を活かせるガードもセンターも見つけ最高の補強をし、東京ベスト3までのしあがった。
だが、伸び悩む時が訪れた。
インターハイ後、悉く格下相手に試合に負け続けた。
“前園なんで言われたことができないんだよ!?”
ふてくされた顔をされて、更にまた怒った。
“お前のプレーにみんな迷惑してる”と思わず試合中に怒りすぎたな。とは思った。
その日、前園の親の車もなくまだ帰ってきてなかったので、飴と鞭でユリの喜ぶご飯を作ろうと食材を買って久しぶりに彼女の家に訪れた。
“帰ってください。”
それだけインターフォン越しに言われてもう応答はなかった。
思春期だしな。そっとしておけば時期に…
だが、それは甘い考えだった。
その頃から、ユリは部内でも揉め事を起こした。
理由を訪ねると明らかにユリが悪かった。また怒ると睨まれる。挙げ句の果てには部活を投げて帰ることもあった。
他の部員の手前、練習試合には使わずベンチにいさせたこともあった。
後から聞いた話によると、私が伸ばしてきたガードの子と言い争いばかりしていたらしい。
次第にユリの反抗的な態度も悪化し、怒れば怒るほど私の顔を見ようともせず、そして、もう部活にも顔を出さなくなり、退部届けが私の手に届いた。)



