パンデミック.新形コロナウイルス

夜の病院の静寂が、まるで嘘のように感じられる。ピンク色のバスが電柱に突き刺さったあの惨劇の後、私たちは救急搬送を見送ってから、そのままナースステーションの片隅で、張り詰めた糸が切れるような会話を続けていた。
僕の口から、かつての恋人との決裂と、それ以後の僕の荒んだ行動――風俗店通い、そして彼女たちの前で見せてしまった醜い執着、唾やマスクを求めたあの異常なまでの衝動――が、堰を切ったように溢れ出した。
それを聞いたにこるが、僕の目を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「あんたねえ、そんなこと言って、あかりにも、私たちにも同じことやってたじゃない。マスクが欲しいだの、唾が欲しいだの……あれ、何だったわけ? あの時のあんたの顔、忘れてないからね」
その言葉に、目の前の彼女が絶句する。僕の弁解は、喉元で空回りした。
「だって、約束を破られたんだ……! あの時、会う約束をしてたのに、直前になって『目が悪いから会えない』って。代案を出す彼女に裏切られた気がして、腹いせに風俗へ行ったんだ。あの男と、何が違うんだよ」
僕が苦し紛れにそう叫ぶと、意外にもにこるたちは頷いた。
「確かにね。あんたがやられたことと、あの男がやったことは、根っこでは同じ傷かもしれない」
その時、にこるが自分の過去を静かに語り出した。
「私もね、看護学校に行く前は、まさにあの街で働いてたの。あのピンク色のバスにも乗ったよ。事故に遭わなかったのは、ただの運でしかない。……ねえ、私たちって結局、みんな泥の中にいるようなものじゃない?」
にこるの言葉を受けて、彼女が震える声で呟いた。
「人間の人生なんて、生めし……泥の中の、穴の中の、惨めな争い。結局、どっちもどっちなんですね」
僕がさらけ出した醜聞――酔って吐いた時のこと、飛沫への執着、マスクをねだる異常性――それらすべてが、彼女の前で白日の下に晒された。それは、まるでバスが電柱に激突したあの衝撃そのものだった。
あの事故が、男の歪んだ欲望の末路だったなら、僕がここで全てをぶちまけてしまったことも、一種の「事故」だったのかもしれない。取り繕っていた仮面が砕け散り、残ったのは、お互いの傷を舐め合っては傷つけ合う、泥だらけの僕たちの姿だけだった。
「……僕ら、本当にどうしようもないね」
僕がそう言うと、彼女は泣き笑いのような顔をして、僕の手をそっと握った。その手は、冷え切っていたけれど、妙に現実味があった。
「でも、これだけは言えるわ。隠していた汚い部分を全部出し切ったら、なんだか急に、あいつへの怒りも、自分への嫌悪も、少しだけ遠くなった気がする」
夜風が病院の窓を叩く。あの大破したバスが街の欲望を象徴していたように、僕らのこの告白もまた、人生の「事故」という名の浄化だったのかもしれない。</blockquote>