パンデミック.新形コロナウイルス

ガラスの破片が散らばるアスファルトの上で、男が力なくうずくまっている。
フロントガラスを突き破った衝撃で、彼の顔は赤黒い血にまみれ、ワイシャツは裂け、高級な革靴の片方はどこかへ消えていた。
「……あ……ああ……」
男は濁った瞳で宙を彷徨わせ、やがて視線を固定した。
目の前で立ち尽くす私。私の背後には、彼を軽蔑の眼差しで見下ろすにこるちゃんと、浜辺美波。
「……お前……なんで……ここにいるんだよ……」
男は脂ぎった笑みを浮かべ、よろよろと手を伸ばそうとした。
「お前……また俺の顔を見に来たのか? ……そうか、やっぱり未練があるんだな。おっぱいがなくなったくらいで、お前には俺しかいないもんな……」
その言葉を聞いた瞬間、私の身体から怒りさえも消え失せ、代わりに凍てつくような冷たさが広がった。
まだこの男は、何も分かっていない。
私が手術で何を失い、どれだけの痛みと戦い、どれほど深く君を愛そうとしていたか。そして、そんな私をゴミのように捨てて、この赤とピンクの毒にまみれた街で何を得ようとしていたのか。
「未練?」
私は一歩、彼に向かって歩み寄った。靴底が砕けたガラスを踏み、ジャリ、と嫌な音を立てる。
「違うわ。見に来たのよ。私を捨てた男が、どんな惨めな結末を迎えるのか。……あんたが選んだその場所の、本当の姿を」
救急隊員が男を担架に乗せようと近づいてくるが、私はそれを制するように男の目の前でしゃがみ込んだ。
男は恐怖に顔を歪めた。今まで見たことのない、冷徹な私の表情に気圧されたのだ。
「あんたが通い詰めたあの街の、あの温かさってやつ……。結局、こんな風に誰も助けに来ない、汚れた夜道で終わるだけなのね」
私は男の胸倉を掴むことも、殴りつけることもしなかった。
ただ、彼の顔をじっと見つめ、鼻で笑った。
「……バイバイ」
男が何かを言いかけるよりも早く、救急隊員たちが彼を強引に担架へと引きずり上げた。
男の悲鳴が、救急車のサイレンの音にかき消されていく。
ピンク色のバスから漏れる火花が、夜の闇の中でチカチカと明滅し、やがて力なく消えた。
彼が去った場所には、ただガラスの破片だけが、街灯の光を反射して冷たく光っていた。