パンデミック.新形コロナウイルス

夜明け前の青白い光が、ナースステーションの窓から差し込み始めた。
一晩中、誰の視線も遮らない場所で私たちは語り合った。結婚の約束が反故にされたこと、式場のキャンセル料、誰にもぶつけられない怒りの行き場について。
「……結局、これなのよね」
私は震える手で、握りしめていたスマートフォンの電源を切った。
結婚を誓い合った場所、二人で選んだ指輪のカタログ、共有していた未来の予定。それらは法的には何の拘束力も持たない「幻」に過ぎなかった。
「結婚もしていなければ、子供もいない。だから、慰謝料なんて言葉さえ、ここでは通用しない」
感情を法的な言葉で切り捨てると、あまりにも空虚だ。
「泣き寝入りするしかないのか」という問いに、答えられる人は誰もいなかった。彼が犯した裏切りも、私が失った尊厳も、誰かに罪として突きつけることができない。この世の中は、ただ「縁がなかった」という言葉で、すべてを終わらせようとする。
「本当に、悔しい……」
私の声は、ひどく掠れていた。
心身ともにボロボロになった私が、ただ傷ついたという理由だけで、彼は新しい日常へ去っていく。私が癌と戦い、自分の体の一部を切り離し、孤独と恐怖に震えていた夜も、彼は別の誰かと温かい場所で笑っていたのだ。
「そんなの、許されないはずなのに。法律も、ルールも、何もかもが、彼を罰してはくれない」
涙はもう枯れ果てていた。ただ、内側で黒い感情がどろりと渦巻いている。
世の中のシステムは、私のような人間を救うようにはできていない。弱者が切り捨てられ、強者が知らん顔をして通り過ぎる。その残酷な構造そのものが、私の胸の傷跡よりも深く、全身を締め付けていた。
浜辺美波は、何も言わずに私の肩に手を置いた。その細い指の温もりが、逆に今の私の惨めさを浮き彫りにする。
にこるちゃんが唇を噛み締めて、悔しそうに俯いた。
夜が明ける。
新しい一日は、昨日までとは違う、冷たい現実を運んでくる。
正義も報いも与えられないまま、私はただ、「生き延びなければならない」という重荷だけを背負って、白々しい空を見上げていた。