パンデミック.新形コロナウイルス

消毒液の匂いが、鼻腔の奥にこびりついて離れない。
さっきまでこのスマホを握りしめていた手は、まだじんわりと熱を帯びているのに。耳に残る彼の声だけが、冷蔵庫の氷のように冷たく溶けていく。
「もう、連絡してこないで」
その言葉が、さよならの代わり。
これまで積み上げてきた三年間が、たった一つのタップでゴミ箱に放り込まれたような感覚。テーブルの上にある飲みかけのカフェラテは、もうすっかり冷めていて、カップの縁にはミルクの膜が張っていた。
向かいの席に誰か座っていたはずの椅子が、やけに白々しく見える。
私は小さく息を吸い込み、震える指で画面をタップした。
通知を切る。
着信履歴を消す。
彼の名前を、私の日常という地図から、こっそりと削除する。
窓の外では、いつのまにか本格的な雨が降り出していた。アスファルトを叩く音が、世界を閉ざしていく。これでいい。これでいいの。誰にも聞かれないように、私は心の中で自分に言い聞かせる。
この雨が止む頃には、きっと涙も乾いているはずだ、なんて。そんな嘘を重ねながら、私は立ち上がった。席を立つ私の背中を、店の入り口から流れてくる冷たい風が追い越していく。
鞄を肩にかけ、私は雨の降る街へと足を踏み出した。
傘もささずに歩き出せば、少しは現実の重たさが洗い流せるだろうか。
一歩、また一歩。
靴底が水たまりを弾く音が、今の私には唯一の音楽だった。