パンデミック.新形コロナウイルス

分娩室の隅で、僕はギターを抱えたまま、静かに、しかし断固とした口調で語り始めた。
「世の中は、ずっとこうだった。邪魔なものを排除し、都合の悪い存在を物理的に消し去る。橋から落とされた高校生も、障害を持って生まれた赤ん坊も、彼らにとっては『社会を効率化するための障害物』に過ぎないんだ」
ミキ義人先生は黙って僕を見ている。かつてヒトラーが障害者を排除したように、歴史は常に「健全で、強く、役に立つ人間」だけで構成された世界を夢見てきた。それは特定の集団への憎悪以上に、自分たちにとっての「不要な異物」を消し去るための、終わりのない排除だ。
僕は、床に置いた楽器を指さしながら言葉を継いだ。
「みんな『できない、できない』と言う。理想論だと笑う。電車で誰かが落とし物をすれば、それを拾うのを助ける。誰かが危うい状況にいれば、たとえ誰が何を落としたのだとしても、その手を掴む。そんな当たり前のことさえ、今の社会は『やる気がない』という言い訳で放棄しているんだ。みんな弱虫になって、自分のことだけで精一杯になっている」
あかりとニコルちゃんが、僕の言葉を深く受け止めるように見つめてくる。
「多くの思想は、結局のところ自分たちの正しさを証明し、他者を排斥するための道具になり下がっている。けれど、僕が信じるキリスト教の本質は違う。トランプのような政治的な狂乱と、イエスが説いた救済を混同してはいけない。本来の教えには、障害者を排除する論理など一片も存在しない。ただ隣人を愛し、どんなに壊れた状況にあっても、そこにいる人を人間として助けること。それしかないんだ」
僕はこの国に足りないのは、キリスト教徒の数ではなく、この「泥臭いほどの実践」だと思っている。
「『物語で言っていることなんて、現実にはできない』。みんなそうやって冷めた顔で言う。でも、僕はやるよ。電車の中で誰かが何かを落とせば、僕はそれを拾うために手を伸ばす。障害がある命も、ただの一人の人間として受け入れる。物語の中で語ったこと、この病院の分娩室で誓ったこと。それを、僕は現実の日常として、今この瞬間からやり続けるんだ」
僕は立ち上がり、母親の病床に静かに手を置いた。
「世の中がどう言おうと、僕はやる。障害があろうとなかろうと、その命に罪はない。誰が何と言おうと、僕はその存在そのものを肯定する。それが僕の、弱虫な社会に対する唯一の反抗であり、人間としての義務なんだ」
ミキ先生が、力強く頷いた。その目には、医者としての計算高さではなく、一人の人間としての温かい決意が灯っていた。
「ああ、そうだな。俺も医者として、効率や選別なんかよりも、もっと泥臭く生きる人間でありたい。君がやろうとしていることは、決して理想なんかじゃない。……それが、当たり前の人間の姿なんだよ」
分娩室の重苦しい空気が、僕たちの決意によって塗り替えられていく。
外の世界では、今日も誰かが「そんなことできるわけがない」とため息をついているだろう。けれど、僕はもう引き返さない。弱虫な社会が「不可能だ」と切り捨てたその場所にこそ、僕の愛がある。僕が歩む道は、たとえ険しくとも、誰一人として取り残さない、唯一の真実なのだ。