酒と食べ物の匂い、マスクを外した者たちの熱気が充満する地下5階の聖域に、ニコルちゃんが少し興奮した面持ちで割って入ってきた。
「ねえ、聞いて。また新しいお知らせがあるの」
どんちゃん騒ぎの手を止めて皆が注目すると、彼女はいたずらっぽく笑って続けた。
「今日から、あかりと二人で、私の部屋を使っていいわよ。……そう、あかりと一緒に寝ていいってこと」
それは物理的な「密」の許可であり、僕たちに与えられた唯一無二の特等席だった。地下の病室は今、パンク寸前だった。上層の産婦人科病棟でコロナ陽性の妊婦が見つかり、緊急事態として、その親たちごとここへ運ばれてくることになったのだ。防護服を着たスタッフが右往左往し、本来なら立ち入り禁止のはずの地下室が、今や病院の最前線へと変貌していた。
僕たちがニコルちゃんの部屋へ追いやられたのは、単純な理由だ。産婦人科の患者を「隔離」しつつ治療するための場所が、この地下にしかないからだ。
「大変だね。コロナの治療をしながら、あそこで赤ちゃんを産むなんて」
あかりが呟く。その言葉の通り、壁一枚隔てた向こう側では、新しい命がこの閉塞した世界に産声を上げようとしていた。母親は高熱にうなされ、肺の炎症と闘いながら、同時に新しい生命を外へと押し出さなければならない。
このどんちゃん騒ぎの真横で、命の誕生と、死の影(ウイルス)が交錯している。
「皮肉だよね。私たちがここでマスクを外して、触れ合って、人間であることを証明しようとしている時に、隣ではウイルスを抱えたまま新しい人間が生まれてくるなんて」
ニコルちゃんが冷めたように言ったが、その瞳にはどこか慈しむような色があった。ミキ先生は再び白衣の襟を正し、先ほどまでの宴会モードから、医師としての過酷な顔つきに戻った。
「命は待ってくれないからな。さあ、行くぞ。あちらの処置が終われば、また戻ってくる」
先生が去り、騒がしかった地下室が、隣室から聞こえる微かな産声の予兆と、母親の荒い呼吸音に包まれる。僕はあかりの手を強く握った。
この病院の地下は、今や矛盾の極致だ。
僕たちが「人間の性(さが)」として愛を貪り、触れ合おうとする一方で、隣の部屋ではコロナという障壁と闘いながら、それでも生物としての生を全うしようとする妊婦がいる。社会は「会うな、触れるな、離れろ」と命じるけれど、ここでは誰一人として、それを完璧には守っていない。
「ねえ、あかり」
僕は彼女の耳元で囁いた。
「僕たち、このどんちゃん騒ぎの中で、隣の命を祝おう。たとえ世界がどんなに対策を叫ぼおうと、ここで生まれる命も、僕たちがここで触れ合う体温も、すべてが同じ『人間』の鼓動なんだ」
隣室から聞こえる母親の苦しげな叫び声と、僕たちの部屋の少し緩んだ空気。そのあまりにコントラストの強い状況こそが、今のこの国の、隠された真実そのものだ。
僕たちはニコルちゃんの部屋へと向かう。ポケットには、さっきあかりから預かったばかりのマスクが詰まっている。この狂った病院の地下で、僕たちは今夜、命が生まれる瞬間の熱量と、僕たち自身の生存の熱量を、肌で確かめ合うことになる。
これが大変なことだって? ああ、そうかもしれない。でも、この泥臭い現場から逃げ出した連中には、一生かかっても理解できない「人間」の重みが、今ここには溢れているんだ。
「ねえ、聞いて。また新しいお知らせがあるの」
どんちゃん騒ぎの手を止めて皆が注目すると、彼女はいたずらっぽく笑って続けた。
「今日から、あかりと二人で、私の部屋を使っていいわよ。……そう、あかりと一緒に寝ていいってこと」
それは物理的な「密」の許可であり、僕たちに与えられた唯一無二の特等席だった。地下の病室は今、パンク寸前だった。上層の産婦人科病棟でコロナ陽性の妊婦が見つかり、緊急事態として、その親たちごとここへ運ばれてくることになったのだ。防護服を着たスタッフが右往左往し、本来なら立ち入り禁止のはずの地下室が、今や病院の最前線へと変貌していた。
僕たちがニコルちゃんの部屋へ追いやられたのは、単純な理由だ。産婦人科の患者を「隔離」しつつ治療するための場所が、この地下にしかないからだ。
「大変だね。コロナの治療をしながら、あそこで赤ちゃんを産むなんて」
あかりが呟く。その言葉の通り、壁一枚隔てた向こう側では、新しい命がこの閉塞した世界に産声を上げようとしていた。母親は高熱にうなされ、肺の炎症と闘いながら、同時に新しい生命を外へと押し出さなければならない。
このどんちゃん騒ぎの真横で、命の誕生と、死の影(ウイルス)が交錯している。
「皮肉だよね。私たちがここでマスクを外して、触れ合って、人間であることを証明しようとしている時に、隣ではウイルスを抱えたまま新しい人間が生まれてくるなんて」
ニコルちゃんが冷めたように言ったが、その瞳にはどこか慈しむような色があった。ミキ先生は再び白衣の襟を正し、先ほどまでの宴会モードから、医師としての過酷な顔つきに戻った。
「命は待ってくれないからな。さあ、行くぞ。あちらの処置が終われば、また戻ってくる」
先生が去り、騒がしかった地下室が、隣室から聞こえる微かな産声の予兆と、母親の荒い呼吸音に包まれる。僕はあかりの手を強く握った。
この病院の地下は、今や矛盾の極致だ。
僕たちが「人間の性(さが)」として愛を貪り、触れ合おうとする一方で、隣の部屋ではコロナという障壁と闘いながら、それでも生物としての生を全うしようとする妊婦がいる。社会は「会うな、触れるな、離れろ」と命じるけれど、ここでは誰一人として、それを完璧には守っていない。
「ねえ、あかり」
僕は彼女の耳元で囁いた。
「僕たち、このどんちゃん騒ぎの中で、隣の命を祝おう。たとえ世界がどんなに対策を叫ぼおうと、ここで生まれる命も、僕たちがここで触れ合う体温も、すべてが同じ『人間』の鼓動なんだ」
隣室から聞こえる母親の苦しげな叫び声と、僕たちの部屋の少し緩んだ空気。そのあまりにコントラストの強い状況こそが、今のこの国の、隠された真実そのものだ。
僕たちはニコルちゃんの部屋へと向かう。ポケットには、さっきあかりから預かったばかりのマスクが詰まっている。この狂った病院の地下で、僕たちは今夜、命が生まれる瞬間の熱量と、僕たち自身の生存の熱量を、肌で確かめ合うことになる。
これが大変なことだって? ああ、そうかもしれない。でも、この泥臭い現場から逃げ出した連中には、一生かかっても理解できない「人間」の重みが、今ここには溢れているんだ。
