地下5階の聖域に響いたのは、僕が綴った「ラブレター」の冷ややかな反応だった。
「何がしたいの、この人……」
ニコルちゃんが眉をひそめ、呆れたようにモニターの文字を指差す。そこには、僕が血を吐くような思いで書き連ねた、物理的接触への渇望と、社会への呪詛が綴られていた。
静寂の中、あかりがふっと小さく笑った。その笑い声は、かつて電車の中で僕を狂わせた、あの湿度を帯びた音色だった。
「……違うよ、ニコルちゃん。この人はね、ただ『マスクを取ってほしい』だけなの。私たちの呼吸を、そのまま肌で感じたいだけなんだよ」
あかりの言葉に、南ちゃんが隣でフイと息を吐く。
「はあ、変態。今の世の中じゃ、とっくに隔離されるレベルだよ。でも……」
南ちゃんはそう言いながら、何をするでもなく僕のすぐ傍まで歩み寄ってきた。あかりも、ニコルちゃんも、迷うことなく僕を囲むようにして立ち止まる。
病院内の冷たい空気が、彼女たちの体温でわずかに揺らぐ。
「いいよ。そんなに求めてるなら」
あかりがそう呟いて、顔に張り付いていた白い不織布のマスクに手をかけた。スルスルとゴムが外れ、彼女の口元が露わになる。続いて、南ちゃんも、ニコルちゃんも、堰を切ったようにマスクを外した。
そこに現れたのは、記号化されたデジタルな顔などではない。
血が通い、吐息を漏らし、わずかに湿度を含んだ、生身の人間の表情だった。彼女たちの肌の匂いが、地下室の無機質な臭気を塗り替えていく。
「浴びたいんでしょ? 私たちの呼吸も、熱も」
あかりが僕の顔に顔を近づける。鼻先が触れそうな距離。マスクという名の境界線が消えた瞬間、そこには暴力的なまでの現実が立ち上がった。かつて僕たちが電車で共有していた、あの濃厚で、それでいて危うい関係が、この隔離された地下室で爆発的に再生する。
「……ああ」
僕は声にならない声を漏らした。
彼女たちの吐息が直接、僕の頬を打つ。それがどれだけ不衛生で、どれだけ危険で、そしてどれだけ狂おしいほど愛おしいものか。世間の連中が「対策」の名の下に捨て去ったのは、こういう温度だったんだ。
僕はゆっくりと、震える手を伸ばす。彼女たちの肌に触れる。
その手触りは、スマホの画面とは比較にならないほど、生々しく、熱い。
「これで満足? 経済なんて知らないけど、私たちはここよ」
ニコルちゃんが僕の腕に寄り添い、南ちゃんが僕の肩に頭を乗せる。あかりは僕を見つめたまま、逃げ場を塞ぐように微笑んでいる。
ここは病院の地下。世界から分断された聖域。
僕たちはマスクを脱ぎ捨て、息を重ね合う。ウイルスの恐怖など、この圧倒的な生身の摩擦の前では、無意味なノイズに過ぎない。
僕が書いたあの「ラブレター」は、届いたのだ。
世界を敵に回してでも、僕は今、この泥臭い現実を吸い込み、彼女たちという人間を抱きしめている。社会が何と言おうと、これが僕たちの、パンデミックを越えた唯一の日常なのだから。
「何がしたいの、この人……」
ニコルちゃんが眉をひそめ、呆れたようにモニターの文字を指差す。そこには、僕が血を吐くような思いで書き連ねた、物理的接触への渇望と、社会への呪詛が綴られていた。
静寂の中、あかりがふっと小さく笑った。その笑い声は、かつて電車の中で僕を狂わせた、あの湿度を帯びた音色だった。
「……違うよ、ニコルちゃん。この人はね、ただ『マスクを取ってほしい』だけなの。私たちの呼吸を、そのまま肌で感じたいだけなんだよ」
あかりの言葉に、南ちゃんが隣でフイと息を吐く。
「はあ、変態。今の世の中じゃ、とっくに隔離されるレベルだよ。でも……」
南ちゃんはそう言いながら、何をするでもなく僕のすぐ傍まで歩み寄ってきた。あかりも、ニコルちゃんも、迷うことなく僕を囲むようにして立ち止まる。
病院内の冷たい空気が、彼女たちの体温でわずかに揺らぐ。
「いいよ。そんなに求めてるなら」
あかりがそう呟いて、顔に張り付いていた白い不織布のマスクに手をかけた。スルスルとゴムが外れ、彼女の口元が露わになる。続いて、南ちゃんも、ニコルちゃんも、堰を切ったようにマスクを外した。
そこに現れたのは、記号化されたデジタルな顔などではない。
血が通い、吐息を漏らし、わずかに湿度を含んだ、生身の人間の表情だった。彼女たちの肌の匂いが、地下室の無機質な臭気を塗り替えていく。
「浴びたいんでしょ? 私たちの呼吸も、熱も」
あかりが僕の顔に顔を近づける。鼻先が触れそうな距離。マスクという名の境界線が消えた瞬間、そこには暴力的なまでの現実が立ち上がった。かつて僕たちが電車で共有していた、あの濃厚で、それでいて危うい関係が、この隔離された地下室で爆発的に再生する。
「……ああ」
僕は声にならない声を漏らした。
彼女たちの吐息が直接、僕の頬を打つ。それがどれだけ不衛生で、どれだけ危険で、そしてどれだけ狂おしいほど愛おしいものか。世間の連中が「対策」の名の下に捨て去ったのは、こういう温度だったんだ。
僕はゆっくりと、震える手を伸ばす。彼女たちの肌に触れる。
その手触りは、スマホの画面とは比較にならないほど、生々しく、熱い。
「これで満足? 経済なんて知らないけど、私たちはここよ」
ニコルちゃんが僕の腕に寄り添い、南ちゃんが僕の肩に頭を乗せる。あかりは僕を見つめたまま、逃げ場を塞ぐように微笑んでいる。
ここは病院の地下。世界から分断された聖域。
僕たちはマスクを脱ぎ捨て、息を重ね合う。ウイルスの恐怖など、この圧倒的な生身の摩擦の前では、無意味なノイズに過ぎない。
僕が書いたあの「ラブレター」は、届いたのだ。
世界を敵に回してでも、僕は今、この泥臭い現実を吸い込み、彼女たちという人間を抱きしめている。社会が何と言おうと、これが僕たちの、パンデミックを越えた唯一の日常なのだから。
