### コロナ対策の欠点・その3:免疫という名の信頼
「会わずに心を繋ぐ」などという言葉は、人間が人間であるという事実を放棄した、最も卑怯な逃げ口上に過ぎない。
画面の向こう側の相手に、僕たちは何を見ているのか。それは相手の心ではない。相手が切り取って差し出した、都合のいい「断片」という名の記号だ。そんな薄っぺらなデータと交流して、心が繋がったと錯覚する。その瞬間に、僕たちは他者の血の通った複雑な内面を理解する努力を、永遠に放棄してしまったのだ。
かつて、僕たちは「リアル」という名の過酷な戦場にいた。電車で肩が触れ、満員の中で息を殺し、誰かの咳を浴び、誰かの吐息を感じる。その泥臭い環境こそが、僕たちの身体に「他者と共存するための免疫」を刻み込んでいたのだ。
物理的な接触を「危険」として排除し、清潔な箱の中に人間を閉じ込める――それは、一見すると合理的な対策に見える。しかし、現実はどうだ。免疫を失い、他者の存在を拒絶するようになった結果、僕たちは精神的に脆くなり、未知の他者に対して異常なまでの猜疑心と攻撃性を抱くようになった。
本当の「コロナ対策」とは、消毒液で手を洗うことではない。
人混みに揉まれ、誰かとご飯をシェアし、相手の食い散らかした皿の端をつつく。その「汚い」はずの行為の中にこそ、相手を許し、相手と混ざり合うための精神的な免疫が存在しているのだ。
仕事に行き、飯を食い、誰かとぶつかる。その繰り返しの摩擦こそが、僕たちの心を強くする。
いきなりオンラインで繋がった「見知らぬ誰か」と、顔を合わせる。かつてリアルな摩擦の中で人を愛した経験があれば、その相手の鼓動や震えを肌で感じ取り、「これはデータではなく人間だ」と直感できるはずだ。だが、その免疫を持たない連中は、相手を記号としてしか見られない。だから殺すのだ。だから傷つけるのだ。
ミキ義人先生が地下で守ろうとしたのは、ウイルスだけではない。人間という種が、ウイルスごときで自らの魂の拠り所を捨て去ってしまうことへの、深い憤りだったはずだ。
「あれ、一口ちょうだい」
その言葉は、単なる食い意地ではない。僕は君の体の一部を自分の中に取り込み、君も僕の一部を取り込む。その身体的な連鎖なしに、愛など語れるはずがない。
オンライン推奨派の論理は、僕たちから「生きるための免疫」を奪い、死んだような経済の抜け殻だけを量産しようとしている。僕はそれを拒絶する。たとえ何度咳を浴びようと、たとえ病気のリスクを背負おうと、僕はリアルに会う。誰かと食事を分け合い、汗と匂いをシェアする。
それが、このパンデミックという長い長い暗闇を抜け出すための、たった一つの、そして最も「人間らしい」対策なのだから。
「会わずに心を繋ぐ」などという言葉は、人間が人間であるという事実を放棄した、最も卑怯な逃げ口上に過ぎない。
画面の向こう側の相手に、僕たちは何を見ているのか。それは相手の心ではない。相手が切り取って差し出した、都合のいい「断片」という名の記号だ。そんな薄っぺらなデータと交流して、心が繋がったと錯覚する。その瞬間に、僕たちは他者の血の通った複雑な内面を理解する努力を、永遠に放棄してしまったのだ。
かつて、僕たちは「リアル」という名の過酷な戦場にいた。電車で肩が触れ、満員の中で息を殺し、誰かの咳を浴び、誰かの吐息を感じる。その泥臭い環境こそが、僕たちの身体に「他者と共存するための免疫」を刻み込んでいたのだ。
物理的な接触を「危険」として排除し、清潔な箱の中に人間を閉じ込める――それは、一見すると合理的な対策に見える。しかし、現実はどうだ。免疫を失い、他者の存在を拒絶するようになった結果、僕たちは精神的に脆くなり、未知の他者に対して異常なまでの猜疑心と攻撃性を抱くようになった。
本当の「コロナ対策」とは、消毒液で手を洗うことではない。
人混みに揉まれ、誰かとご飯をシェアし、相手の食い散らかした皿の端をつつく。その「汚い」はずの行為の中にこそ、相手を許し、相手と混ざり合うための精神的な免疫が存在しているのだ。
仕事に行き、飯を食い、誰かとぶつかる。その繰り返しの摩擦こそが、僕たちの心を強くする。
いきなりオンラインで繋がった「見知らぬ誰か」と、顔を合わせる。かつてリアルな摩擦の中で人を愛した経験があれば、その相手の鼓動や震えを肌で感じ取り、「これはデータではなく人間だ」と直感できるはずだ。だが、その免疫を持たない連中は、相手を記号としてしか見られない。だから殺すのだ。だから傷つけるのだ。
ミキ義人先生が地下で守ろうとしたのは、ウイルスだけではない。人間という種が、ウイルスごときで自らの魂の拠り所を捨て去ってしまうことへの、深い憤りだったはずだ。
「あれ、一口ちょうだい」
その言葉は、単なる食い意地ではない。僕は君の体の一部を自分の中に取り込み、君も僕の一部を取り込む。その身体的な連鎖なしに、愛など語れるはずがない。
オンライン推奨派の論理は、僕たちから「生きるための免疫」を奪い、死んだような経済の抜け殻だけを量産しようとしている。僕はそれを拒絶する。たとえ何度咳を浴びようと、たとえ病気のリスクを背負おうと、僕はリアルに会う。誰かと食事を分け合い、汗と匂いをシェアする。
それが、このパンデミックという長い長い暗闇を抜け出すための、たった一つの、そして最も「人間らしい」対策なのだから。
