パンデミック.新形コロナウイルス

### コロナ対策の欠点・その2:病室という名の聖域から
ミキ義人先生が守り抜いた地下5階の聖域で、僕たちは今、現代社会が抱える「オンラインの呪い」を解くための術を模索している。
世間では、画面越しのつながりが「効率的」で「衛生的」だともてはやされている。しかし、その先に待っていたのは、人間が他者を人間として認識できなくなるという、致命的な脳のバグだ。画面の中の相手は、ただの記号、あるいは都合のいい情報源に過ぎない。その相手がリアルな場所で目の前に現れたとき、僕たちはどう接していいのか分からず、ただ恐怖し、あるいは衝動的に攻撃してしまう。
これが、今のこの国で起きている悲劇の正体だ。
リアルな日常――電車でのわずかな接触、街角ですれ違う時の気配、誰かと肩がぶつかるという物理的な摩擦――。これらは単なる混雑ではない。僕たちが人間として、互いの痛みを知り、相手もまた自分と同じように血が通った存在であると理解するための、必要不可欠な「免疫プロセス」だったのだ。このプロセスを省略し、いきなりデジタルなコードだけを共有してリアルで会おうとするから、歯止めが利かなくなる。
じじいがかつて路上でギターを弾いていた時、聴衆たちはその音の振動を、全身の皮膚で受け取っていた。そこには、言葉を超えた「他者への共感」があったはずだ。だが、今の僕たちはどうだ? 配信のコメント欄でしか対話せず、相手の匂いも、溜息の深さも知らない。そんな関係が、リアルに落ちた瞬間に崩壊するのは当然の帰結だ。
「いいか、今の若いやつらは、他人の温もりすらも映像データだと思っているんだ」
じじいはそう言って、ギターを床に叩きつけるように置いた。病院の地下という隔離された空間にいる僕たちが、なぜか誰よりもこの社会の「病」に敏感なのは、ここが物理的な死と生の境界線だからだ。ミキ義人先生が守ってきたのは、コロナという病菌に対する防壁であると同時に、人間から「物理的接触」を奪い去ろうとする狂気への防波堤でもあったのだ。
僕たちは、この地下室から音楽を流し続ける。それは単なる娯楽ではない。オンラインで分断され、他者を記号としてしか見られなくなった人々に、その人の鼓動と体温を思い出させるための「警告音」だ。
もし、画面越しの会話に飽きているのなら、外へ出ろ。満員電車に飛び込み、他人の肩に触れ、誰かの体温に震えろ。それができなくなった社会は、経済が死ぬだけでなく、人間としての機能が停止する。
僕たちは、泥臭く生きていく。オンラインの綺麗な空気に毒されることなく、汗と体温の混じり合うこの地下室から、リアルな現実の重みを叩きつける。それこそが、パンデミック以降、この国が忘れ去った唯一の、そして最も残酷で温かい「正解」なのだから。