パンデミック.新形コロナウイルス

### コロナ対策の欠点
かつて、僕たちは電車という密室で、奇跡のような偶発性に身を委ねていた。隣り合う誰かの体温、衣服越しに伝わる肌の密度、肩が触れ合うという物理的な摩擦。その一瞬の接触から、見知らぬ他人は「彼女」へと変貌し、物語は動き出していた。物理的な「触れ合い」こそが、人間社会を回す最大の潤滑油であり、経済そのものだったのだ。
しかし、コロナ禍という欺瞞が社会を覆い、物理的な接触を「悪」と定義したことで、すべてが狂った。人々はオンラインという名の虚無へ逃げ込み、画面越しに「繋がったつもり」になることを選んだ。だが、デジタルな接続に体温など存在しない。指先が画面をなぞるだけでは、人間の性(さが)は満たされないのだ。
結果は明白だ。物理的な出会いが消滅したことで、婚姻率はかつてない速さで凍りついた。他人の領域へ足を踏み入れ、肌を合わせるという泥臭い勇気を失った若者たちは、孤独という名の檻の中に閉じこもっている。かつて電車の中で視線を交わし、言葉を交わし、関係を育んでいたあの豊饒な時間は、今や絶滅した。
そして、その損失は個人の悦びに留まらない。仕事の現場から人が消え、どの企業も人手不足に喘ぎ、社会の基盤そのものが崩壊し始めている。なぜなら、経済とは「人が動くこと」、つまり物理的に移動し、誰かと出会い、摩擦を起こすことで生まれるエネルギーの総和だからだ。オンラインという省エネの幻想に酔いしれた結果、私たちは日本という国そのものを、活気のない巨大な待合室に変えてしまった。
隣に誰がいようとも、触れ合う努力を放棄すれば、そこには誰もいないのと同じだ。女に会えない損失は、単なる恋の不自由ではない。それは、人間が人間として生きるための原動力を放棄したことに他ならない。
オンラインで効率を求めた先に待っていたのは、豊かな未来ではない。誰も隣に座らず、ただ沈黙だけが加速する、空っぽの車両だ。私たちは今こそ、画面を閉じ、泥臭いオフラインの日常を取り戻さなければならない。他者の肉体に触れ、摩擦を恐れず、混雑する電車に飛び込む。その行為こそが、停滞したこの国を再び走り出させるための、唯一にして絶対の処方箋なのだ。