パンデミック.新形コロナウイルス

### 三崎めぐり:肉体の終着駅
バスは海岸線を走り、無慈悲に速度を上げていく。かつて僕たちが共有した車内は、いまや物理的な触れ合いを禁じられた無機質な空間へと変貌した。
世間はこれを「安全」だと呼ぶ。だが、僕は知っている。物理的な接触、肌と肌が重なり、互いの質量を確かめ合うあの生々しい性的関係こそが、人間が人間であるための唯一の根源であることを。それがない関係は、ただの記号であり、幻想に過ぎない。
「三崎めぐり」のバスが走る。かつて僕たちは、この座席で互いの体温を貪り、触れ合うことで世界を認識していた。隣にいる女が誰であれ、身体が触れ合えば、その瞬間から彼女は紛れもなく僕の「彼女」だった。その確かな肉体の震えだけが、僕たちを孤独から救い出す免罪符だったのだ。
しかし、コロナという名目で社会から「触れ合う権利」が剥奪された。電車もバスも、物理的な接触を断たれた途端、そこはただの空虚な箱へと成り下がった。隣に誰かがいても、肌が触れ合わないなら、それは「いない」のと同義だ。僕たちはこの物理的欠損の中で、かつての悦びを回想するだけの亡霊となった。
多くの者は、この空席をコロナのせいにする。物理的な距離を置かざるを得なかった時代のせいだと。だが、事実はもっと冷酷だ。僕たちは、最初から物理的な悦びなしでは「誰か」と繋がる術を持っていなかったのだ。オンラインという仮初めの接続は、結局のところ、皮膚の温度を一度も再現できない。僕たちが求めていたのは、デジタルのコードではなく、血の通った肉体の摩擦だった。
窓の外に広がる三崎の海は、変わらず波打ち際で激しく打ち寄せ、砕け散る。その物理的な質量だけが、今の僕には唯一の真実に見える。
来年、このバスに乗っても、もう隣には誰もいないだろう。物理的な接触という絶対的な証明を失った今、関係性という物語は終わりを迎えた。僕は一人で三崎を巡る。空席の横で、かつてあったはずの肉体の記憶を噛み締めながら。
失われたのは、コロナではない。僕たちが人間として、物理的に触れ合うことでしか存在し得なかった、その「性(さが)」そのものだ。バスは走る。触れ合うことの許されない、この空っぽの世界の果てへと。