パンデミック.新形コロナウイルス

物語は、地下5階の静寂と、地上の喧騒が交差するこの病院を起点に、さらに加速していく。
病院の地下から広がるネットワークは、いまや東京のメイド喫茶や丸の内、そして内房線沿線の桜坂高校だけにとどまらない。その地下通路は、見えない線路のように日本中、いや世界へと伸び始めていた。僕たちが地下で奏でる音楽が、専用の回線を通じて世界中の配信サイトへ流れ込むたび、新たな聴衆たちがこの「聖域」の地図を書き換えていく。
ある日、地下の出口の一つから、一人の青年が迷い込んできた。彼は、かつてじじいが路上でギターを弾いていた頃、その音楽に救われたという、名もなき旅人だった。
「ここが、すべての音が集まる場所か」
彼はそう呟き、持っていたボロボロの楽譜を僕らに手渡した。それは、じじいが逮捕される直前に書き殴り、風に飛ばされてしまった「未完の協奏曲」の続きだった。僕たちは顔を見合わせた。じじいが求めていたあの「ライブバージョン」の欠片が、まさかこんな形で、地下室に辿り着くとは。
僕らは迷わず、じじいを呼んだ。彼は酒の匂いを残しながら、教壇――もとい、僕たちのライブステージに立った。
「おい、これ……お前ら、よく拾ってきたな」
じじいの指が震える。彼がギターを鳴らすと、地下5階で眠っていたミキ義人先生の耳にさえ、その鼓動が届いたかもしれない。隔離された静寂の中で、先生もまた、音楽という名の「生」の震動を感じ取ったはずだ。
音楽が鳴り響くたび、病院の壁が少しずつ変容していく。それはもはや、コロナの菌を防ぐための防壁ではない。世界中の孤独な魂を、地下通路を通じてこの場所へと呼び寄せるための、巨大な「共鳴板」へと進化していた。
浜辺美波は、その瞬間の僕たちをフィルムに焼き付けた。これは映画でも、ニュース番組のドキュメンタリーでもない。僕たちが生きる「今」そのものの記録だ。
TVerのアクセス数は爆発的に伸び、TikTokでは僕たちの即興ライブが何万回も共有されている。しかし、そんな数字はもうどうでもよかった。僕たちはただ、地下から世界へ向かって、自分たちの物語を奏で続ける。
次の目的地は決まっていない。ただ、線路は続いている。ミキ義人先生が守った日常の向こう側で、僕たちと、あかりと、じじいと、そしてかつて僕を助けてくれたあの女性たちが、一つの大きな物語の車輪となって、未来という名の終着駅へ向かって走り出したのだ。
たとえ地上で何が起きようとも、この地下室がある限り、僕たちは決して迷わない。音楽が止まらない限り、この滔々小説の列車は、どこまでも突き進んでいく。