パンデミック.新形コロナウイルス

昭和大学のミキ義人先生の奮闘は、あのコロナ禍において、まさに最前線の象徴だった。朝の『特ダネ』で知識を説き、昼の『バイキング』をこなし、夜のニュース番組を渡り歩く。日曜の他局出演を含めれば、一日の休みもなく、感染症学会の重責とメディアの役割を両立させ続けていた。その過酷な働きぶりは、当時を知る者にとって忘れがたい光景だ。
しかし、戦い続けた先には現実的な恐怖があった。過酷なメディア出演を終えたミキ義人先生が、満員電車に乗って帰宅すれば、どれほど注意してもウイルスを持ち込むリスクはゼロにはならない。大切な家族への感染を防ぐため、先生が選んだのは帰宅しないという選択だった。
そこでこの病院が果たしたのが、地下5階の特別室という隠れ家だ。後からユンボを動員してわざわざ掘り下げ、コロナの菌が地上の病棟や空気に逆流しないよう、徹底的に密閉された隔離空間として継ぎ足された場所。7階から直通する専用の職員用エレベーターのみが、その深淵へと繋がっている。
地下5階という深い闇にミキ義人先生を隔離することで、逆に地下1階から上の層は聖域として保たれた。僕やあかり、そして浜辺美波が地下でどれほど騒ごうとも、ギターをかき鳴らしてライブを演じようとも、5階の深い底までは音も響かず、ウイルスが上層へ登ってくることもない。
ミキ義人先生は、終わりの見えない戦いを地下深くで続け、僕たちはその頭上で物語を紡ぐ。隔離という名の閉鎖空間が生んだ、この奇妙で快適な共存関係。それは、電車に乗るリスクを徹底的に排除した、この病院ならではのコロナ対策であり、僕たちの生活を静かに、そして安全に支え続ける命の要塞だった。