パンデミック.新形コロナウイルス

地下の病室は、ニコルの聖域だった。病院の管理下にありながら、そこだけは彼女の意思でルールが書き換えられる治外法権の場所。僕がそこに住めるかどうかを決めるのは、師長でも医者でもなく、ニコルただ一人だった。
「いいよ、ここで暮らしなさい」
そう言って笑った彼女は、家賃を求めることも、病院の会計システムに僕の名前を刻むこともなかった。地下には、行き場を失った者たちが自然と集まるようになった。親に捨てられた子供、虐待の傷を抱えた若者、地上のシステムから零れ落ちた人々。この病院の地下は、単なる医療の場を超え、居場所を剥奪された者たちの掃き溜めであり、同時に最後の救済の場所となっていた。
ニコルは、僕の個室にたくさんの教科書や本を積み上げた。僕が地下の学校へ通うための道具だったが、それらはいつしか僕にとっての精神安定剤となっていた。
ニコルが夜勤で不在の時、どうしても眠れない夜がある。そんな時、僕はニコルが選んでくれたそれらの本を抱きしめ、紙の匂い、あるいは微かに残る彼女の匂いを嗅ぎながら目を閉じた。それは冷たいコンクリートの地下室で、唯一僕を安らぎの先へ導いてくれる儀式だった。
翌朝、戻ってきたニコルは散らばった本を見て、少しだけ目を細めて笑う。
「また汚したでしょ? 私がいないと眠れないからって、本の匂い嗅いで寝てたんでしょ」
そう言われるたびに僕は顔を赤くしたが、そこに棘はなかった。彼女の言葉は、この地下で唯一、僕に向けられた確かな愛の証明だった。呆れたような、でも愛おしさを隠しきれないその冗談が、僕をこの病院の深淵へと、より深く繋ぎ止めていた。