パンデミック.新形コロナウイルス

地下という場所は、地上の倫理や病院の序列が灰になって消え去る場所だった。
そこでは、地上とは異なる家族の形がひっそりと結ばれていた。理学療法士の正男と、心理カウンセラーとして赴任してきたあかね。彼らはこの閉ざされた空間で夫婦の契りを交わし、地下の規律を守る番人のような存在となっていた。
一方で、ニコルと浜辺美波は、誰にも縛られぬ独身という身軽さを武器に、消えゆく子供たちの命を見守り続けている。そして未来の秋生。彼は、最も大切なあかりを無菌室の中で永遠に失った悲劇を背負い、決して誰とも結ばれることのない「永遠の独身者」として、この地下を彷徨う亡霊のような存在となっていた。
しかし、この奇妙な住人たちが集う地下病棟こそが、秋生にとっては唯一の楽園だった。
地上の病棟を支配していたあの息苦しい師長も、冷徹な主治医も、この地下までは降りてこない。階層という物理的な距離が、そのまま権威からの解放を意味していた。
「ニコル、今日はあかりの無菌室へ行ってくる」
「いいわ。私はここで、子供たちとバスに乗るから」
そんな会話さえ、地下の澱んだ空気の中では誰にも咎められない。ボソボソと交わされる密談、あるいはあかりとの二人きりの静寂。誰が誰と何をしようと、この地下の壁はすべてを飲み込み、記憶から消し去ってくれる。
ここには「病気を治す」というノルマもない。ただ、死の縁にいる者たちが、最期まで人間らしくいられるための時間があるだけだ。
秋生にとって、地下3階は単なる避難場所ではなかった。それは、大人たちの監視から逃れ、愛する者たちとの関係を「隠匿」できる、最高の職場であり、隠れ家だった。地上という灼熱の戦場から切り離され、男と女、生者と死者が混ざり合うこの密室で、秋生たちはようやく、何者にも邪魔されずに自らの人生を生きることができたのだ。
あかねの冷徹なカウンセリングの声も、地下の防音壁が吸い込んでいく。ここでは誰もが、それぞれの傷を抱えながら、地下道の脈動に身を任せていればいい。それこそが、地下という場所が秋生たちに与えた、唯一にして最大の慈悲だった。