パンデミック.新形コロナウイルス

地下の空間で、ニコルはかつて背負っていた「色」を隠そうとはしなかった。
彼女はもともと、この病院の近くにある風俗店で働いていた。だが、彼女がそこで見せていたのは、単なるサービスを超えた献身だった。店を訪れる孤独な客や、誰にも見向きもされない子供たちに対し、彼女は心からの親切を尽くした。その光景を目にした時、ニコルは決意したのだ。もっと直接的に、命を救い、痛みを和らげる側に立ちたいと。それが彼女を看護学校へと突き動かし、白衣を纏う決心へと繋がった。
そんな彼女の過去を知っているからこそ、秋生は彼女のすべてを慈しむことができた。ナースステーションの死角で吹く、あの儚いシャボン玉。それはかつての職場で磨かれた、誰かを一瞬でも夢見させるためのサービス精神の現れだったのかもしれない。秋生にとって、彼女の過去は汚点ではなく、彼女がどれほど人を愛そうとしていたかの証左だった。
しかし、運命はそこに新たな波紋を投げかける。
かつて桜坂高校で共に青春を過ごした、あかね。秋生が人生のどこかで結婚という誓いを交わしたあの女性が、今、この病院に「心理カウンセラー」として赴任してきたのだ。
地上のエリート街道を歩んできたあかねと、地下の深淵で消えゆく命に寄り添うニコル。
かつて自分を愛し、今も法的な絆の中にいる「妻」としてのあかねが、心理カウンセラーという立場で病院内を闊歩する。一方で、地下の聖域で秋生と共に秘密を共有し、汚れすらも愛し合う「共犯者」としてのニコル。
秋生は地下3階の個室で、その二つの世界が交差する予感に震えていた。あかねのカウンセリングは、地上の「治癒」という論理に基づいている。彼女はきっと、この地下で起きていることや、ニコルの存在を「異常な心理的退行」として診断しようとするだろう。
かつての妻と、今の愛人。病院という巨大なシステムの中で、秋生を巡る二人の女性の眼差しが、地上と地下という階層を隔てて静かに激突しようとしていた。あかねの診察室から漏れる冷静な分析の言葉が、地下で暮らす秋生たちにとっての「新しい日常」を壊そうとしている。秋生はただ、ニコルと共に、その嵐が地下まで到達しないことを祈るしかなかった。