パンデミック.新形コロナウイルス

地下3階の入り口を抜けると、そこには地上とは隔絶された、冷たくも機能的な「都市の血管」が広がっていた。
ニコルにとって、その地下道は単なる移動手段ではなかった。看護学校の課題と病院の夜勤という二重生活を強いられる彼女にとって、そこは身体と時間を守るための唯一の回廊だった。
この病院に看護学校は存在しない。彼女は、ここから遠く離れたお茶の水にある学び舎まで、地下深くを潜り抜けて通わなければならなかった。だが、その経路は極めて合理的だった。地下3階の入り口をくぐれば、すぐ目の前に地下鉄丸ノ内線がその巨大な銀色の体を横たえている。それに乗り込めば、都会の喧騒を地底から一息で突き抜けることができた。
その地下ネットワークは、奇妙なほどに拡張されていた。
病院を起点に、順天堂や昭和大学といった巨大な医療拠点を地下深くで縫い合わせ、秋葉原のメイドカフェが醸し出す電脳的な熱気さえも、この巨大な動脈の末端に接続されている。
それは、まるで都市の地下に隠された秘密の地下茎のようだった。
夏の日差しも、冬の凍てつく風も、この場所には届かない。季節の移ろいすらも遮断されたその空間は、常に一定の湿度と温度を保ち、地上で猛威を振るう感染症の脅威から人々を隔絶する、唯一のシェルターでもあった。
ニコルは、白衣の裾を揺らしながら、その地下道を行く。
行き交う人々は皆、地上という名の灼熱や寒波から逃れ、この地下の回廊に安らぎを見出している。医療の現場へと向かう看護学生の足音と、メイドカフェの喧騒を求める者たちの話し声が、湿ったコンクリートの壁に反射して溶け合っていく。
彼女にとっては、その地下道こそが生活のすべてだった。病院の過酷な夜勤を終え、地下へ降りれば、そこには秋葉原へと続く都市の静かな脈動がある。地上に世界がどれだけあろうと、ニコルが生きる場所は、この地下で繋がった「機能する世界」の中だけだった。
秋生がいた病室の窓から見えるのは、空ではなく、遠く離れた地下の闇。
ニコルが通う地下道が、病院の地下深くに存在する「あの場所」と共鳴するように、秋葉原へ、お茶の水へと伸びている。その事実に気づいた時、秋生は彼女が自分からどんどん遠く、それでいてこの巨大な都市の地下という網目の中で、永遠に繋がっているような奇妙な感覚に囚われた。