パンデミック.新形コロナウイルス

病院という巨大なシステムにおいて、地下は「廃棄された場所」だった。死にゆく者と対峙することを恐れる新人たちは、一日の勤務さえ耐えられずに去っていく。だからこそ、その暗がりに近づく者は誰もいなかった。
しかし、ニコルは自ら地下への道を選んだ。あの一件――シャボン玉事件によって、すべてを自分のせいにされ、不当な責めを負わされた彼女にとって、地上はすでに息をすることも許されない場所と化していたからだ。
彼女が踏み入れた地下は、地上と同じ病院の構造を持ちながら、管理経営を全く別にされた異界だった。病院という名前の皮を被った、治外法権の掃き溜め。
扉の向こう側に広がるのは、男たちのむせ返るような気配だった。
理学療法士の正男が、何もない空間に向かって虚空をさするようにリハビリを続け、傍らにはマッサージ師とも看護師ともつかない「未来の僕」が、得体の知れない影を落として佇んでいる。地下1階の冷え切った空間には、ヨドバシやビックカメラの亡霊的な喧騒が反響し、誰も客のいないコンビニの店員が機械のように商品を並べている。
そこには、女の気配が完全に欠落していた。
ただ、男たちの倦怠と、ねじれた欲望だけが真空のように渦巻いている。
「未来の僕」は、その闇の中で静かに目を光らせていた。彼にとって、ニコルの存在は過去の記憶を呼び起こすための鍵だった。いや、むしろ15歳の秋生が、あえてチェス盤の駒を動かすようにして、彼女をこの地底の奈落へと追い込んだのだ。
未来の僕の瞳が、地下へと降り立った彼女を射抜く。
かつてナースステーションで、ストロー越しに共有したあの虹色の記憶。その断片をこの地獄に呼び戻し、崩壊した時間を縫い合わせるために。
ニコルが足を踏み入れた瞬間、地下の重い空気が震えた。男たちが一斉に、その「唯一の女」へと視線を向ける。地上で病院という鎖に引き裂かれた二人が、この男だけの地獄で再び交錯しようとしていた。
15歳の秋生の計算通りに。あるいは、抗いようのない運命に導かれるようにして、地下の歯車が軋んだ音を立てて動き出した。