「シャボン玉がしたい。ストローを持ってきてよ」
秋生はナースステーションのカウンターに体重を預け、夜勤中の彼女を見上げた。藤田ニコルに似たその声の主は、怪訝そうに目を細めながらも、秋生の瞳に宿る切実なまでの飢えに抗えず、渋々ながらストローを用意した。
「一体、何がしたいの?」
問いかけは無視された。秋生はただ、この閉塞した病院の澱んだ闇の中に、せめて虹色の光を浮かべたかったのだ。
「ニコルちゃん、先にふーって吹いて。そうすれば、僕にも見えるかもしれないから」
彼女は戸惑いながらも、言われるがままストローを唇に咥えた。無機質な白い壁に向けて、静かに息が吹き込まれる。消毒液の匂いが染み付いた空気に、無数の虹色の球体が揺らぎながら生まれた。
「次は僕がやる」
「ストロー、新しいのを持ってくるわね」
「いや、いいから」
秋生は彼女の手から、唇の温もりが残るストローを奪い取るように掴んだ。それは間接的な口付けに他ならなかった。秋生は彼女の吐息が残るその先を唇で覆い、静かに息を吐き出す。自分が放ったシャボン玉が、先に宙を舞っていた彼女のシャボン玉と空中で重なり、弾けて消えた。
あかりのいない地下への絶望、実験室の秘密を知った恐怖、そしてこの絶望的な環境で唯一、真実を語ってくれた彼女への禁断の慕情。それらすべてが、ストローを通じて彼女と自分をつないでいた。5歳の少年にとって、それは遊びの形を借りた、必死の抱擁だった。二人はナースステーションの奥、誰の目も届かない死角で、互いの孤独を埋め合うように境界を曖昧にしていった。
だが、背徳の時間は夜明けとともに無残に砕け散る。
翌朝、病院は騒然とした。二人の行為は隠し通せるものではなかった。監視カメラの記録か、あるいは密告か。ナースステーションに踏み込んできた上司たちの怒声が響き渡る。
「何をしているの! 患者と看護師が何を……!」
秋生は引き剥がされ、彼女は泣き顔でどこかへ連れ去られた。ナースステーションという場所でのその振る舞いは、すべてを「不潔な問題」へと貶めた。大人たちは、地下で実験を繰り返し、あかりの命を弄んでいるという事実に目を背け、秋生と彼女の間に生まれたその歪な愛だけを、組織の論理で切り捨てたのだ。
床に落ちたストローが、無造作に踏みつけられて折れ曲がっている。
虹色はもう、どこにもなかった。ただ、二人が触れ合った熱の記憶だけが、秋生の胸の奥で、異物のように冷たく居座り続けていた。
秋生はナースステーションのカウンターに体重を預け、夜勤中の彼女を見上げた。藤田ニコルに似たその声の主は、怪訝そうに目を細めながらも、秋生の瞳に宿る切実なまでの飢えに抗えず、渋々ながらストローを用意した。
「一体、何がしたいの?」
問いかけは無視された。秋生はただ、この閉塞した病院の澱んだ闇の中に、せめて虹色の光を浮かべたかったのだ。
「ニコルちゃん、先にふーって吹いて。そうすれば、僕にも見えるかもしれないから」
彼女は戸惑いながらも、言われるがままストローを唇に咥えた。無機質な白い壁に向けて、静かに息が吹き込まれる。消毒液の匂いが染み付いた空気に、無数の虹色の球体が揺らぎながら生まれた。
「次は僕がやる」
「ストロー、新しいのを持ってくるわね」
「いや、いいから」
秋生は彼女の手から、唇の温もりが残るストローを奪い取るように掴んだ。それは間接的な口付けに他ならなかった。秋生は彼女の吐息が残るその先を唇で覆い、静かに息を吐き出す。自分が放ったシャボン玉が、先に宙を舞っていた彼女のシャボン玉と空中で重なり、弾けて消えた。
あかりのいない地下への絶望、実験室の秘密を知った恐怖、そしてこの絶望的な環境で唯一、真実を語ってくれた彼女への禁断の慕情。それらすべてが、ストローを通じて彼女と自分をつないでいた。5歳の少年にとって、それは遊びの形を借りた、必死の抱擁だった。二人はナースステーションの奥、誰の目も届かない死角で、互いの孤独を埋め合うように境界を曖昧にしていった。
だが、背徳の時間は夜明けとともに無残に砕け散る。
翌朝、病院は騒然とした。二人の行為は隠し通せるものではなかった。監視カメラの記録か、あるいは密告か。ナースステーションに踏み込んできた上司たちの怒声が響き渡る。
「何をしているの! 患者と看護師が何を……!」
秋生は引き剥がされ、彼女は泣き顔でどこかへ連れ去られた。ナースステーションという場所でのその振る舞いは、すべてを「不潔な問題」へと貶めた。大人たちは、地下で実験を繰り返し、あかりの命を弄んでいるという事実に目を背け、秋生と彼女の間に生まれたその歪な愛だけを、組織の論理で切り捨てたのだ。
床に落ちたストローが、無造作に踏みつけられて折れ曲がっている。
虹色はもう、どこにもなかった。ただ、二人が触れ合った熱の記憶だけが、秋生の胸の奥で、異物のように冷たく居座り続けていた。
