パンデミック.新形コロナウイルス

手術を終えたその夜、病棟の天井は、まるで出口のない迷宮のように低く見えた。麻酔の影響で昼間を眠り呆けていたせいで、意識は異常に冴え渡っていた。
廊下の向こうから、聞き覚えのある足音が近づいてくる。藤田ニコルに似た声を持つあの看護師だった。彼女は夜勤の当直で、この静まり返った病棟を管理する番人だった。
「眠れないの?」
彼女がそっとカーテンを開ける。秋生はベッドから上半身を起こした。眠りへの誘惑よりも、喉の奥からせり上がってくるあかりへの執着が勝っていた。秋生はまた、あの地下の話を始めた。大人たちが「作り話」だとして片付ける、あの地下の領域の話。
「あかりちゃんがいないと、やっぱり寂しいよね」
彼女がそう言った瞬間、秋生の堤防が決壊した。
「うん……」
言葉よりも先に、熱いものが頬を伝った。それは5歳の子供にはあまりに重たい慟哭だった。泣きじゃくりながら、秋生はまた地下のことを口にした。あそこには何かがある。大人たちが隠そうとしている「本当の何か」が。
いつもなら「そんなことないよ」と笑顔で誤魔化すはずの彼女が、ふっと表情を消した。病棟の廊下の突き当たり、誰もいない闇を見つめながら、彼女は長い沈黙の末に、吐き捨てるように白状した。
「あかりちゃんには……もう、帰る場所なんてないのよ」
彼女が語ったのは、病院という名の解体工場に隠された「業」だった。あかりの両親は、彼女が白血病だと知った瞬間、この子を捨てたのだという。ゴミを捨てるように病院という檻へ放り込み、彼女は「病院の子」として、ただ消費されるためにそこにいた。
そして、秋生が突きつけていた「地下の正体」が、彼女の口から残酷なほど淡々と明かされた。
「地下4階。そこにあるのは治療のための施設じゃない。人間を部品として再利用するための実験室よ」
彼女の言葉が、秋生の心臓を刺す。
秋生に移植された角膜。それは、かつてあかりと一緒に地下へ降り、手術の末に命を落とした少年のものだった。心臓病で死にゆくその少年の瞳を奪い、秋生に埋め込んだ。そして今、あかりの体には、同じ少年の骨髄が移植されようとしている。
この病院の地下は、層を成す地獄だ。
地下1階には、なぜか喧騒と電子の光が並ぶヨドバシやビックカメラの亡霊が彷徨い、地下2階は死を待つ子供たちのディズニーランド。地下3階にはウイルスが蔓延るコロナ病棟があり、そのさらに深淵、地下4階で「実験」が行われている。
秋生は、自分の目の奥に、自分ではない誰かの景色が焼き付いていることを知った。あかりの体にも、同じ死者の断片が植え込まれようとしている。
衝撃はなかった。むしろ、すべてのピースが狂ったようにパズルの場所に収まっていくような、悪寒を伴う納得があった。秋生は、自分もあかりも、救われるための患者ではなく、地下の実験室で回転する「資源」に過ぎなかったのだと理解した。
彼女は震える手で秋生の肩を触れ、言った。「秘密よ。これは、ここから生きて出られない子たちの、最期の約束だから」
秋生は、窓の外の闇を見た。冷たい空気が病室に流れ込み、病院全体の底で、何かが静かに脈打っているのが聞こえた気がした。角膜を通して世界を見るたび、自分の中に流れ込む「亡くなった少年の記憶」が、地下への扉を強固に閉ざそうとしていた。
あかりを助けたいという願いすら、この巨大な実験のプロセスの一部なのかもしれない。秋生はベッドに深く沈み込み、目を開けたまま、この残酷な世界をじっと見つめ続けた。