パンデミック.新形コロナウイルス

病院という聖域が、突如として現実の不条理と奇譚(きたん)の混ざり合う、狂った劇場へと変貌した瞬間だった。
MRI室。磁場と放射線が渦巻く、その密閉された場所で、一人のレントゲン技師の鬱積が爆発した。金属音が響き、壁が砕け散る。暴走の結果、MRIの防護壁の向こうに現れたのは、本来あるはずのない「通路」だった。それは、あろうことか桜坂高校の校舎へと繋がっていた。
砕けた穴から這い出したのは、精巧に作られた、喋る人形だった。まるで悪意ある冗談のように、異界の扉が開いてしまったのだ。
院内はパニックに陥った。しかし、それだけでは終わらない。この混乱は、あかりの命綱さえも断ち切ろうとしていた。
レントゲン技師の起こした騒動と、それに伴う一週間の職場放棄。その余波は血液センターを直撃した。あかりの骨髄移植の準備、その最も繊細な工程を担う血液検査が、この「馬鹿野郎」の身勝手な行動によって一週間停止したのだ。抗がん剤で免疫をゼロにされたあかりにとって、一週間の遅延は死の宣告に等しい。
「あかりの時間を、なんだと思ってるんだ」
秋生は憤った。だが、病院の狂気は加速する。
ついにこの事件は社会問題へと発展した。ABEMAテレビと読売新聞が中継車を並べ、会見場には記者たちのフラッシュが焚かれる。Nスタのカメラが病院の惨状を捉え、全国にその「異常事態」が放送された。
追い打ちをかけるように、地下のクリーンルームで新型コロナウイルスの集団感染が発生した。
「ここが、地獄か」
地下の冷たい空気が、ウイルスを媒介してあかりのクリーンルームへ忍び寄る。
もはや人手も足りない。現場の混乱は極致に達した。昭和大学の医師たちをはじめとする専門家グループが、この杜撰(ずさん)な管理体制に牙を剥いた。小木会長をはじめとする重鎮たちが、テレビカメラの前で激しく病院の責任を糾弾する。
「医療崩壊どころか、ここは最早、魔窟だ!」
批判の嵐が吹き荒れる中、保健所が介入した。
騒然とする地下フロアに運び込まれたのは、皮肉にもCMで見たばかりのパナソニック製の最新エアコンだった。無機質で、しかし強力な冷気を吐き出すその機械が、地下の澱んだ空気を無理やり循環させ、ウイルスを制御下に置こうとする。
あかりのいるクリーンルームに、パナソニックの冷たい風が吹き込む。
その風は、どこか遠い場所から吹いてくるような、無機質な清潔さを運んできた。
レントゲン技師の狂気、喋る人形の出現、そしてコロナという目に見えない災厄。
すべてが複雑に絡み合い、あかりという一人の少女の命を、大人の事情という名の歯車が乱雑にすり潰そうとしていた。
秋生は遠く離れた病室から、中継画面に映る自分の病院を見つめていた。画面の中では、パナソニックの室外機が不気味な音を立てて回り、小木会長が鬼の形相で叫んでいる。
しかし、あかりのいる地下の闇には、そんな騒音も届かない。
あかりは今、あのエアコンの冷たい風を浴びながら、一人で何を見ているのだろうか。テレビの中のディズニーランドか、それとも現実の崩壊か。秋生は握りしめた拳を震わせた。病院が狂えば狂うほど、あかりの存在が透明になっていくような恐怖が、秋生を襲っていた。