パンデミック.新形コロナウイルス

病棟の廊下を、ストレッチャーが滑っていく。車輪が床を叩く規則的な音が、秋生にはこれから始まる大冒険のドラムロールのように聞こえていた。
「やっとだ」
秋生は心の中で叫んでいた。地下に行く。あかりを連れ去った、あの忌々しくも神秘的な、地獄と直結するエレベーターに乗れる。手術室は地下にある。つまり、あかりが消えたその場所へ、自分もようやく到達できるのだ。
藤田ニコルに似た声の看護師が、ストレッチャーを押して廊下を駆ける。秋生の視界はすでにぼやけ始めていた。麻酔の甘い香りが鼻腔をくすぐり、意識がぐらりと揺れる。それでも、秋生は高揚感を抑えられなかった。
「……あかり、待ってろよ」
麻酔で舌が回らないにもかかわらず、秋生はストレッチャーの上で歌を歌っていた。何かの童謡だったか、それともただのデタラメな旋律だったか。看護師が苦笑しながら「秋生くん、静かにしててね」と声をかけるが、そんなものは届かない。地下という未知の領域へ足を踏み入れるという事実に、秋生の心は踊っていた。
やがて、エレベーターが地下の階数で停止する。
扉が開くと、そこは地上とはまるで違う空気だった。消毒液の匂いが濃く、湿り気を帯びた冷気が肌を刺す。ここがあかりのいた場所だ。
手術の直前、秋生は期待を胸に膨らませていた。手術が終われば、看護師がきっと、あかりのいるクリーンルームに寄ってくれるはずだ。そこで二人で顔を合わせて、またあの幼稚園の頃のように笑い合うのだ。
だが、現実は冷酷だった。
手術を終えて朦朧とした意識の中で、秋生はあかりの部屋を求めた。しかし、看護師たちは無言で、秋生を元の病室へと運んでいく。
「あかりのところへ行きたい」
そう口にしようとしても、麻酔の重たい檻がそれを許さない。クリーンルーム。その言葉の響きは、鉄壁の要塞のように秋生を拒絶した。ガラス一枚の向こう側、あかりがいる場所は、もはや生身の人間が立ち入ることを許されない「聖域」だったのだ。
がっかりした。小さな胸が、鉛のような重さで沈む。あかりには、会えない。
しかし、意識が完全に闇へと沈んでいく中、秋生は不思議な世界へ迷い込んだ。
全身麻酔の深淵。そこには、真っ白な廊下も、消毒液の匂いも、看護師の作り笑いもなかった。
夢の中のあかりは、笑っていた。髪の毛もちゃんとあって、病棟着ではなく、幼稚園の制服を着ていた。二人は病院のロビーではなく、どこまでも続く青空の下で遊んでいた。あかりは秋生の手をしっかりと握り、秋生もまた、彼女の小さな掌の温もりを感じていた。
そこでは、あかりは地下に消える必要もなく、秋生もまた、誰かの角膜を埋め込んで異物と戦う必要もなかった。ただ、子供としてそこに存在していた。
覚めることのない夢の中であかりと遊んでいる間、秋生は自分が手術を受けていることさえ忘れていた。このまま時間が止まればいい。地下のクリーンルームも、抗がん剤の地獄も、すべて夢の中へ溶かしてしまいたい。
だが、麻酔という名の魔法が解ける時がやってくる。
現実に引き戻されるその瞬間の、言いようのない喪失感。秋生はまだ知らなかった。あかりと夢の中で遊ぶことが、これからの長い人生で、自分が手に入れられる「唯一の救い」になることを。