パンデミック.新形コロナウイルス

病院という密室は、子供に「死」という現実を隠そうとする大人たちの偽善で満ちている。だが、そこに入り込んだ秋生、お前だけは違った。
その看護師は、藤田ニコルのような弾けるような明るい声を持っていた。吉野家のCMで流れる、あの軽快で少し浮ついた響き。看護学校に通いながら、夜勤やシフトの合間を縫って働いているのだろう。彼女の白いナース服はまだ真新しく、病院の澱んだ空気に染まりきっていない、どこかよそよそしい清潔さを纏っていた。
彼女は、自分が受け持つ患者たちが「回復する過程」を信じていた。あるいは、そう信じようと必死に努めていた。
だが、秋生は知っている。赤十字の病院で目の当たりにした、あまりに冷酷な振り分けを。同じ病室に入り、同じ薬を投与されても、ある者はふらりと歩いて退院していき、ある者はストレッチャーの上で二度と戻らない場所へ運ばれていく。その境界線はあまりに曖昧で、そしてあまりに残酷だ。
看護師が笑顔で「大丈夫、次はもっと良くなりますよ」とあかりの経過を話すたび、秋生はその声が、地下のクリーンルームで窒息しそうなあかりの声と重なって、耳障りで仕方なかった。
「あかりのこと、エレベーターで運ばれていったでしょ」
秋生は彼女にそう問いかけた。彼女は一瞬、顔を曇らせ、またすぐに「お仕事中だからね、秋生くん」と、子供をあやすような声色で逃げようとする。大人はみんな、死の気配をエレベーターの扉の向こうに隠したがる。触れてはいけない、話してはいけないこととして、地下へ封印する。
「地下のクリーンルーム、あそこから先は誰が帰ってきたの? 結局、誰も帰ってこないんじゃないの」
秋生の声は冷徹だった。彼女の藤田ニコルに似た、無邪気で快活な声が、秋生の突きつける「事実」の前で揺らぐ。彼女は看護学校で何を習った? 命を救う技術か、それとも死の光景に蓋をするための完璧な演技か。
大人は「希望」という名の麻酔を患者に打つ。だが、秋生にはそれが、自分たちの罪悪感を消すための自己満足にしか見えなかった。
「世の中は、治る奴と死ぬ奴を、運という名のくじ引きで決めてるだけだよ。それを隠して、綺麗な言葉で包み込んで、何が看護師だ」
秋生は、彼女の目を見た。そこには、自分の無知が剥き出しになることへの恐怖が隠れていた。地下へ消えたあかりを、地上で「明日も頑張ろうね」と笑う看護師。どちらが残酷か、秋生には明白だった。
エレベーターが地下へ向かうたび、誰かの人生が「死」という選択肢に近づいていく。その事実を、この病院の誰も口にしない。秋生だけが、あの冷たいエレベーターの昇降音を、あかりの最期の合図のように聞いていた。