診察室の重苦しい空気は、バタンというドアの開く音とともに一瞬で吹き飛んだ。
正雄と看護師たち、そして廊下を歩いていた子供たちが、弾かれたように雪崩れ込んでくる。彼らの困惑した視線が、床に散乱するカルテの残骸と、僕の足元に転がった聴診器に注がれた。
「先生、今のすごい音……何やってんの?」
正雄が目を丸くして尋ねる。僕は拾い上げたカルテを乱暴に机に戻し、視線を逸らした。
「……なんでもない。ただの不注意だ」
しかし、正雄は僕の背中に冷たい視線を刺したまま、静かに口を開いた。
「もしかして、あの明かりのこと、まだ引きずってるの? その気持ち、みんなわかるよ」
言葉が凍りついた。診察台の上の患者が、僕と正雄を交互に見つめている。僕は顔を真っ赤にして、正雄を制した。
「おい、やめろ。患者さんの前でそんな話、するべきじゃない!」
すると、正雄は呆れたように肩をすくめ、僕の胸を小突いた。
「はあ? さっき先生が何て言ったか忘れたの? 『感情をコントロールするな、正直になれ』って、患者さんに説教してたじゃない。それなのに、自分が隠すのは矛盾してない?」
部屋の空気が、ピリピリとした緊張から、別の何かに変わった。子供たちが首を傾げている。患者の硬い表情が、崩れ始めた。
「……先生、そんなことで悩んでたんですか」
患者が吹き出した。それは、今日初めて聞く、心からの笑い声だった。
「医師もそんなことで動揺するなんて、マジであるんだね。なんか、ちょっと安心しました」
その瞬間、僕を縛り付けていた医師という名の鎧が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。恥ずかしさで死にそうだったが、それ以上に、どうしようもなく肩の荷が下りた。
「……そうだな。俺もただの人間だ。たまには失敗もする」
僕が苦笑いすると、看護師たちがクスクスと笑い出し、正雄も悪戯っぽく笑った。患者の点滴の針を抜くとき、その手はもう、震えていなかった。
「ありがとうございました、先生。今日は、薬よりずっと効きました」
患者はそう言って、出口へと向かった。廊下へと消えていくその背中は、入ってきた時よりもずっと軽やかだった。
「……これこそが、治療か」
僕が呟くと、正雄が隣で頷いた。
「ただ優しくするだけが医療じゃない。時にはこんな風に、医師が恥をかいて、人間臭い姿を晒すこと。それも一つの処方箋なんだね」
部屋の隅で笑い転げる子供たちと、呆れながらも満足そうな看護師たち。診察室は、もう消毒液の匂いよりも、どこか温かみのある、騒がしい場所になっていた。
僕は深く息を吐き出した。完璧な医師である必要はない。ただ、生きている人間として、目の前の誰かと笑い合えればそれでいい。
地下の点滴の雫が、今はもう、あかりを奪った悲しみの音ではなく、僕らが生きているという証の鼓動のように聞こえた。
正雄と看護師たち、そして廊下を歩いていた子供たちが、弾かれたように雪崩れ込んでくる。彼らの困惑した視線が、床に散乱するカルテの残骸と、僕の足元に転がった聴診器に注がれた。
「先生、今のすごい音……何やってんの?」
正雄が目を丸くして尋ねる。僕は拾い上げたカルテを乱暴に机に戻し、視線を逸らした。
「……なんでもない。ただの不注意だ」
しかし、正雄は僕の背中に冷たい視線を刺したまま、静かに口を開いた。
「もしかして、あの明かりのこと、まだ引きずってるの? その気持ち、みんなわかるよ」
言葉が凍りついた。診察台の上の患者が、僕と正雄を交互に見つめている。僕は顔を真っ赤にして、正雄を制した。
「おい、やめろ。患者さんの前でそんな話、するべきじゃない!」
すると、正雄は呆れたように肩をすくめ、僕の胸を小突いた。
「はあ? さっき先生が何て言ったか忘れたの? 『感情をコントロールするな、正直になれ』って、患者さんに説教してたじゃない。それなのに、自分が隠すのは矛盾してない?」
部屋の空気が、ピリピリとした緊張から、別の何かに変わった。子供たちが首を傾げている。患者の硬い表情が、崩れ始めた。
「……先生、そんなことで悩んでたんですか」
患者が吹き出した。それは、今日初めて聞く、心からの笑い声だった。
「医師もそんなことで動揺するなんて、マジであるんだね。なんか、ちょっと安心しました」
その瞬間、僕を縛り付けていた医師という名の鎧が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。恥ずかしさで死にそうだったが、それ以上に、どうしようもなく肩の荷が下りた。
「……そうだな。俺もただの人間だ。たまには失敗もする」
僕が苦笑いすると、看護師たちがクスクスと笑い出し、正雄も悪戯っぽく笑った。患者の点滴の針を抜くとき、その手はもう、震えていなかった。
「ありがとうございました、先生。今日は、薬よりずっと効きました」
患者はそう言って、出口へと向かった。廊下へと消えていくその背中は、入ってきた時よりもずっと軽やかだった。
「……これこそが、治療か」
僕が呟くと、正雄が隣で頷いた。
「ただ優しくするだけが医療じゃない。時にはこんな風に、医師が恥をかいて、人間臭い姿を晒すこと。それも一つの処方箋なんだね」
部屋の隅で笑い転げる子供たちと、呆れながらも満足そうな看護師たち。診察室は、もう消毒液の匂いよりも、どこか温かみのある、騒がしい場所になっていた。
僕は深く息を吐き出した。完璧な医師である必要はない。ただ、生きている人間として、目の前の誰かと笑い合えればそれでいい。
地下の点滴の雫が、今はもう、あかりを奪った悲しみの音ではなく、僕らが生きているという証の鼓動のように聞こえた。
