パンデミック.新形コロナウイルス

病院の廊下は、どこまでも白く、無機質だった。
私は白衣のポケットに手を突っ込み、あかりがかつて眠っていた病棟の前で足を止める。消毒液の匂いが鼻をつく。あの頃の自分と、今の自分。何が変わったのか、あるいは何も変わっていないのか。
「結局、僕らはみんな、自分の傷を見たくないだけなんだ」
独り言を呟きながら、診察室のドアを開ける。室内では、次の診察を待つ患者がスマートフォンを握りしめ、誰かを罵倒するようなSNSの投稿を読み上げていた。その顔には、隠しようもない苛立ちと、社会に対する歪んだ正義が張り付いている。
「先生、今の国は、声の大きい人間だけを救うんですか」
患者の問いは、会議室で役人に突きつけた私の言葉と同じ色をしていた。私は机の上のカルテをめくりながら、努めて冷静に答える。
「いいえ。国も、病院も、そしてあなた自身も、ただ自分の不安を埋めるための『正解』を誰かに求めているだけです」
「正解がないなら、どうすればいい?」
私は窓の外に目を向けた。あかりは、自分の病気が治らないことを知っていたはずだ。だが彼女は、誰を責めることもなく、ただ静かに雨の日を眺めていた。あの時、彼女が見ていた景色。そこには、この分断された世界を解く鍵があるような気がした。
「……まずは、誰のせいにするのもやめることですね」
そう言って私が顔を上げると、患者は驚いたような、あるいは侮蔑を含んだ目で見返してきた。その瞳の中に、あの日の私の、友人であった藤岡恵に向けた冷徹な怒りの影を見た。
私たちは皆、自分を正当化するための物語を必死に書き換えている。それがどんなに醜く、空虚な結末であっても。
病院の地下で、点滴の雫が規則正しく落ちる音がした。それは、かつてあかりを奪った運命の鼓動か、それとも、この国が静かに腐敗していく音か。私はカルテを閉じた。その音が、戦いの合図のように耳の奥で鳴り響いていた。