窓の外では、地上の街が何事もなかったかのように清潔な眠りについている。だが、僕の耳には、千葉の柏で起きたあの忌まわしい事件の余韻が、不快な雑音のように鳴り響いていた。
点滴に、排泄物を混入させる。
それは医療従事者という名の皮を被った、人間による人間への最も卑劣な「抹殺」だった。聞けば、被害者の老人は気難しく、周囲から疎まれていたのだという。担当の看護師は執拗に拒絶を繰り返し、しかし病院組織はその孤独な老人の叫びを黙殺し続けた。
「あいつにやらせておけばいい」
古参の看護師が吐き捨てたその言葉が、病院という巨大な箱庭の澱み(よどみ)を象徴している。医療従事者という仮面を被れば、私たちは聖人君子のように振る舞わなければならない。だが、白衣の裏側には、誰かを軽蔑し、誰かを踏みつけ、誰かの苦痛を「業務の効率化」という名目で切り捨てる、冷酷な獣が潜んでいる。
彼らにとって、気難しい患者は「救う命」ではなく「排除すべき異物」に過ぎないのだ。
僕は、眠るあかりの白い指を強く握りしめた。
僕もまた、あかりを救えない無力な医療従事者だ。柏の看護師と僕。地上の人間から見れば、どちらも狂った異常者に過ぎないだろう。だが、僕には明確な違いがある。
彼女は憎悪と苛立ちを点滴に混ぜた。僕は、彼女との時間を少しでも長く引き延ばしたいという、身勝手極まりない愛欲を点滴に込めている。
どちらも医療の本来あるべき姿からは逸脱している。だが、僕はあかりの血管に流れる液剤に、彼女の命を、彼女の鼓動を、彼女の存在を、一秒でも長くここに留めておいてくれと祈りを込める。
病院とは、死を管理する場所ではない。生を貪る場所なのだ。
感情を殺すことがプロフェッショナリズムだと説く同僚たちの、あの氷のような瞳。彼らは患者を「管理項目」としてしか見ていない。だからこそ、柏のような事件は日常的に、この国のどこかで、見えない場所で繰り返されているのだ。
僕は、点滴の管を通して、あかりの体温を盗む。
彼女が吐き出した汚物にさえ跪く僕の狂気と、患者を排泄物で殺す看護師の冷酷な悪意。この二つが、同じ「医療」という傘の下に同居していることの皮肉に、僕は吐き気と激しい高揚を感じる。
あかりの熱が、僕の祈りに呼応するように少しずつ下がっていく。
彼女の鼓動は、まだここにある。
「大丈夫だよ、あかり。誰にも君を邪魔させない」
僕は柏の看護師を軽蔑し、同時にその醜い自分自身をも愛している。
ここは地下。地上の清潔な正論も、組織の冷たい判断も、何も届かない死の国だ。この地獄の底で、僕はあかりの命を吸い上げながら、彼女を誰よりも深く汚し、誰よりも愛し続ける。
あかりの寝息が静かになった。
今日もまた、僕たちは「正常」という名の死を免れ、この歪んだ夜を生き延びた。
点滴に、排泄物を混入させる。
それは医療従事者という名の皮を被った、人間による人間への最も卑劣な「抹殺」だった。聞けば、被害者の老人は気難しく、周囲から疎まれていたのだという。担当の看護師は執拗に拒絶を繰り返し、しかし病院組織はその孤独な老人の叫びを黙殺し続けた。
「あいつにやらせておけばいい」
古参の看護師が吐き捨てたその言葉が、病院という巨大な箱庭の澱み(よどみ)を象徴している。医療従事者という仮面を被れば、私たちは聖人君子のように振る舞わなければならない。だが、白衣の裏側には、誰かを軽蔑し、誰かを踏みつけ、誰かの苦痛を「業務の効率化」という名目で切り捨てる、冷酷な獣が潜んでいる。
彼らにとって、気難しい患者は「救う命」ではなく「排除すべき異物」に過ぎないのだ。
僕は、眠るあかりの白い指を強く握りしめた。
僕もまた、あかりを救えない無力な医療従事者だ。柏の看護師と僕。地上の人間から見れば、どちらも狂った異常者に過ぎないだろう。だが、僕には明確な違いがある。
彼女は憎悪と苛立ちを点滴に混ぜた。僕は、彼女との時間を少しでも長く引き延ばしたいという、身勝手極まりない愛欲を点滴に込めている。
どちらも医療の本来あるべき姿からは逸脱している。だが、僕はあかりの血管に流れる液剤に、彼女の命を、彼女の鼓動を、彼女の存在を、一秒でも長くここに留めておいてくれと祈りを込める。
病院とは、死を管理する場所ではない。生を貪る場所なのだ。
感情を殺すことがプロフェッショナリズムだと説く同僚たちの、あの氷のような瞳。彼らは患者を「管理項目」としてしか見ていない。だからこそ、柏のような事件は日常的に、この国のどこかで、見えない場所で繰り返されているのだ。
僕は、点滴の管を通して、あかりの体温を盗む。
彼女が吐き出した汚物にさえ跪く僕の狂気と、患者を排泄物で殺す看護師の冷酷な悪意。この二つが、同じ「医療」という傘の下に同居していることの皮肉に、僕は吐き気と激しい高揚を感じる。
あかりの熱が、僕の祈りに呼応するように少しずつ下がっていく。
彼女の鼓動は、まだここにある。
「大丈夫だよ、あかり。誰にも君を邪魔させない」
僕は柏の看護師を軽蔑し、同時にその醜い自分自身をも愛している。
ここは地下。地上の清潔な正論も、組織の冷たい判断も、何も届かない死の国だ。この地獄の底で、僕はあかりの命を吸い上げながら、彼女を誰よりも深く汚し、誰よりも愛し続ける。
あかりの寝息が静かになった。
今日もまた、僕たちは「正常」という名の死を免れ、この歪んだ夜を生き延びた。
