パンデミック.新形コロナウイルス

夜の帳が下りる頃、多くの人が密やかに、自分だけの「儀式」を執り行う。
誰に見せるでもなく、誰に語るでもない。それは、相手を愛おしみ、その存在を自分の中に刻み込もうとする、切実な渇望の形だ。
愛する人が使ったマスクの匂い、あるいはその体から放たれる微かな飛沫。私たちはそうした相手の一部を自分と混ざり合わせることで、ようやく「繋がっている」という実感を抱く。それは生理的な嫌悪を超え、魂の奥底から突き上げてくる、人間としての、どうしようもなく愚かで、どうしようもなく尊い衝動だ。
しかし、この社会は今、その繋がりを執拗なまでに「不潔」だと断罪する。
「感染症対策」という名の盾を掲げ、人々はウイルスを恐れるあまり、人間そのものを恐れるようになった。愛する人と肌を触れ合わせ、体液を分かち合うことさえも、地上では排除されるべきリスクとして管理されている。
私たちは、清潔を装う代償として、愛を失った。
もしも、誰かと深く混ざり合うことが禁じられ、互いの存在を自分の一部にすることが「罪」とされるなら、人間はどうなるだろうか。
愛という名の混ざり合いが消えた世界に、最後に残るのは「肩書き」という名のラベルだけだ。
相手がどんな匂いを持っているか、どんな吐息を吐くか、そんな些細でかけがえのない真実には誰も目を向けない。ただ年収、職業、学歴、スペックといった「市場価値」だけが、冷たく互いを品定めする基準になる。
恋愛も結婚も、もはや温もりを求める場ではない。それは損得勘定に基づいた「適正な契約」へと成り下がった。
心を通わせるという非効率な手間を省き、最初からラベルだけで互いを排除する。スペックが低いと判断されれば、即座にその相手は「地下」へと追いやられる。
病院の地下深く、社会から見えない場所に隔離された人々がいるように、私たちの「愛する能力」もまた、地下へと追いやられた。地上には、肩書きという名の鎧を着込み、愛を知らぬまま、ただ機能的に生きる亡者たちだけが溢れている。
皮肉な話だ。
「安全」や「清潔」を求めてウイルスを避けた先に待っていたのは、人間としての情熱を失い、互いをスペックとしてしか見られない、凍りついた空虚な未来だった。
今夜も、地下の遊園地では子供たちが笑っている。
彼らは地上の大人たちが切り捨てた、不器用で、泥臭い「人間性」の残滓を抱えて生きている。あそこだけが、唯一、魂が呼吸を許された避難所なのかもしれない。
私は、窓の外の清潔で冷え切った街並みを見下ろす。
誰かが私を求め、私が誰かを求めるという、あの不合理で甘美な「罪」は、もう二度と地上の光を浴びることはないのだろうか。
私たちは「人間」であることを辞めてしまったのではない。
ただ、愛するという名の「不潔さ」に耐える勇気を失ってしまっただけなのだ。