地上波のニュースが「不潔」「リスク」という言葉で塗りつぶすその裏側で、街の片隅では全く別の論理が動いていた。
マスクを売る女がいた。
使用済みの、彼女の吐息と湿気が染み付いたマスク。それを一枚千円で買い求める男たちがいる。アプリを通せば規約違反になるからと、彼らはわざわざ人目につかない場所へ足を運び、直接彼女からそれを受け取る。
世間はこれを「変態の所業」と呼び、感染症対策という大義名分のもとで激しく断罪するだろう。汚い、異常だ、と。けれど、どうだろうか。愛する人が触れたもの、その人の体温が移ったものを手元に置きたいという渇望は、本質的には最愛の人と口づけを交わすこととなんら変わらない。それが汚物だと言い切れる人間は、他者との生身の結びつきを放棄した、ただの冷徹な観測者に過ぎない。
コロナ禍という時代は、人々から「触れ合う理由」を奪ったのではない。人々が隠し持っていた「自分にとって都合の悪いもの」を遠ざけるための、完璧な免罪符を与えただけだ。
「感染リスクがあるから」
「清潔ではないから」
そうやって言葉を重ねるたびに、人と人との距離は物理的にも心理的にも切り離されていった。だが、流行り病が過去の記録になった今も、その溝は埋まるどころか、より深く、冷酷なものになっている。
今、彼らが「汚い」と忌み嫌うのはウイルスではない。相手を愛おしいと感じるその生の感情と、肩書きという鎧を持たない人間そのものだ。
地下室の病棟に隔離された者たちも、マスクを売る女の元へ通う男たちも、結局は同じ場所にいる。地上で「清潔な市民」を演じるための、都合のよい捨て石。
私たちは、本当は誰よりも人間を求めているはずだ。愛する人の匂いに、その人の存在証明を求め、たとえそれがどれほど非合理で、世間から蔑まれる行為であっても、そこに命の温度を感じたいと願っている。それなのに、今の社会は「思いやり」という言葉さえも、肩書きのある者にだけ向けられる親切の道具へと変えてしまった。
病院の地下深く、誰にも知られることなく管理されている生と死。そして、街の雑踏に紛れて交わされる千円のマスク。それらを隔てているのは、科学的な根拠などではなく、ただの偽善だ。
「汚い」と指をさす人々に、私は問いたい。
あなたが今、一番恐れているのはウイルスの侵入なのか。それとも、効率とステータスで測れない、この泥臭い人間性そのものなのか。
結局のところ、コロナなんて最初から関係なかったのだ。
私たちはただ、面倒で、制御不能で、どうしようもなく愛おしい「人間」という存在から、自分を遠ざけたかっただけなのだから。
地下の遊園地では、今日も子供たちが笑っている。地上の大人たちが「汚い」と決めつけて捨てたものたちが、そこでだけは、本当の意味で呼吸をしている。
マスクを売る女がいた。
使用済みの、彼女の吐息と湿気が染み付いたマスク。それを一枚千円で買い求める男たちがいる。アプリを通せば規約違反になるからと、彼らはわざわざ人目につかない場所へ足を運び、直接彼女からそれを受け取る。
世間はこれを「変態の所業」と呼び、感染症対策という大義名分のもとで激しく断罪するだろう。汚い、異常だ、と。けれど、どうだろうか。愛する人が触れたもの、その人の体温が移ったものを手元に置きたいという渇望は、本質的には最愛の人と口づけを交わすこととなんら変わらない。それが汚物だと言い切れる人間は、他者との生身の結びつきを放棄した、ただの冷徹な観測者に過ぎない。
コロナ禍という時代は、人々から「触れ合う理由」を奪ったのではない。人々が隠し持っていた「自分にとって都合の悪いもの」を遠ざけるための、完璧な免罪符を与えただけだ。
「感染リスクがあるから」
「清潔ではないから」
そうやって言葉を重ねるたびに、人と人との距離は物理的にも心理的にも切り離されていった。だが、流行り病が過去の記録になった今も、その溝は埋まるどころか、より深く、冷酷なものになっている。
今、彼らが「汚い」と忌み嫌うのはウイルスではない。相手を愛おしいと感じるその生の感情と、肩書きという鎧を持たない人間そのものだ。
地下室の病棟に隔離された者たちも、マスクを売る女の元へ通う男たちも、結局は同じ場所にいる。地上で「清潔な市民」を演じるための、都合のよい捨て石。
私たちは、本当は誰よりも人間を求めているはずだ。愛する人の匂いに、その人の存在証明を求め、たとえそれがどれほど非合理で、世間から蔑まれる行為であっても、そこに命の温度を感じたいと願っている。それなのに、今の社会は「思いやり」という言葉さえも、肩書きのある者にだけ向けられる親切の道具へと変えてしまった。
病院の地下深く、誰にも知られることなく管理されている生と死。そして、街の雑踏に紛れて交わされる千円のマスク。それらを隔てているのは、科学的な根拠などではなく、ただの偽善だ。
「汚い」と指をさす人々に、私は問いたい。
あなたが今、一番恐れているのはウイルスの侵入なのか。それとも、効率とステータスで測れない、この泥臭い人間性そのものなのか。
結局のところ、コロナなんて最初から関係なかったのだ。
私たちはただ、面倒で、制御不能で、どうしようもなく愛おしい「人間」という存在から、自分を遠ざけたかっただけなのだから。
地下の遊園地では、今日も子供たちが笑っている。地上の大人たちが「汚い」と決めつけて捨てたものたちが、そこでだけは、本当の意味で呼吸をしている。
