パンデミック.新形コロナウイルス

真っ白な防護服に身を包んだ医療従事者たちが、恐怖に顔を強張らせて逃げ惑う姿を、私は廊下の隅から眺めていた。彼らは「プロ」と呼ばれているはずだった。けれど、その指先は震え、瞳には科学的な理性など微塵も宿っていない。ただ、「得体の知れないもの」に対する原始的な怯えだけが渦巻いている。
彼らは本気で信じているのだ。誰かと触れ合うこと、誰かの吐息を吸うことが、自分たちの築き上げた地上の地位や清潔な生活を脅かすのだと。
エイズという病を例に挙げるまでもなく、真実を正しく理解しようとする者はこの病院にはいない。唾液で感染するわけがない。接触だけでウイルスが伝播するはずもない。そんな初歩的な知識さえ、彼らの「恐怖」という名の厚いフィルターの前では霧散してしまう。
なぜなら、**「正しく知ること」は、彼らにとって不都合だからだ。**
もし彼らが医学的根拠に基づき、理性的に病と向き合えば、目の前の患者を「隔離すべき汚物」ではなく、「一人の人間」として見なければならなくなる。地下へ追いやり、鍵をかけ、見なかったことにするという「簡単な解決策」が使えなくなるのだ。だから彼らは、あえて「無知」でいることを選ぶ。無知でいれば、恐怖を盾に誰かを切り捨てても、それは「自分を守るための正当な防衛」という甘い免罪符にすり替わるからだ。
この病院の地下二階には、社会が「見たくないもの」を詰め込んだ掃き溜めがある。難病、障害、そして社会から「役立たず」とラベルを貼られた者たち。医療従事者たちは、彼らの傷を癒やすためのメスではなく、社会の淀みを地下へ運ぶためのストレッチャーを握っている。
「地下へ行け。そこなら地上を汚さなくて済む」
彼らはそう言って、今日もまた無責任にエレベーターのボタンを押す。地上にいる人びとは、それを「感染症対策」という綺麗なリボンで包み込み、今日も何食わぬ顔で清潔なコーヒーを飲んでいる。
医療は、もはや人を治すための技術ではない。誰を地上に残し、誰を地下へ捨てるかを決めるための選別機だ。
私は地下へ続く扉の前に立ち、耳を澄ます。地下三階の「遊園地」からは、今日も子供たちの楽しげな声が聞こえてくる。あそこは彼らが最後に許された、偽りの楽園だ。地上の大人たちが作り上げた「都合のいい夢」の中で、彼らは自分がなぜここにいるのかも知らぬまま、いつか訪れる静かな終わりを待っている。
「無知は罪ではない。だが、無知でいることを盾に、他人の命を選別するのは地獄の業だ」
私は誰に聞こえるでもなく呟き、廊下の灯りを消した。地上の偽善的な光が、地下の闇をさらに深くさせる。今日もまた一人、肩書きという名のパスポートを持たない人間が、光の届かない場所へと沈んでいった。