パンデミック.新形コロナウイルス

地上に漂う清潔な空気は、まるで薄い膜のようです。その膜の裏側にある醜悪な現実を、誰もが見ないふりをしています。
「感染対策」という言葉が世界を支配したあの日から、社会はさらに残酷な選別を始めました。肩書きという名の勲章を胸に下げた者だけが地上を歩き、そうでない者は、まるで不要なデータのように、気づかぬうちに視界から消されていく。
私が働くこの病院にも、地図には載らない場所があります。
「地下2階。そこには、光を必要としない人たちが眠っている」
噂は、ナースステーションの影や、古いカルテの整理の合間に、まるで毒のように囁かれます。医療ミスがあったとき、不都合な事実を隠蔽するためにカルテが改ざんされるように、この街の「救えない命」もまた、地下へと書き換えられていくのです。
本来、病を癒やし、人を救うはずの場所が、今は「選別の選別」を行う選別機と化しています。障害があるから、治りが遅いから、生産性がないから――そんな理由で、社会から「無責任」に押し付けられた難病の患者たちは、地下へと運ばれていきます。彼らはそこで、誰からも見られることなく、ただ静かに死を待つ。
そしてさらにその下、地下3階には、子供たちの笑い声が響いているという話です。
「あそこは遊園地だ」と、誰かが笑いました。社会の隅に追いやられた者たちに、せめてもの救いとして与えられた、偽りの夢の国。地上で完璧な人生を演じなければならない管理者たちが、罪悪感を麻酔で消すように作り上げた、箱庭のような場所。
地上では、みんなが「コロナだから」と言って、困っている人に手を差し伸べることをやめました。いや、正確には、自分にとって都合の悪い人間を「隔離」するための完璧な免罪符を手に入れたのです。公務員や社会的地位のある者には、今も変わらず親切な微笑みが向けられる。その一方で、肩書きのない人間は、ただの「障害」として、病院という名の地下室へ追いやられる。
「医療にすべてを任せればいい」
そう言って、国民は自分の手から責任を離しました。命の重さを判断する責任、誰かを隣人として受け入れる責任。そのすべてを、私たち医療従事者という名の管理人に押し付けて、地上で清潔なコーヒーを飲んでいるのです。
地下室の扉は、いつも鍵がかかっています。
そこに何があるのかを知る人は、誰一人としていません。
けれど、時折、エレベーターのボタンが勝手に押されるたび、私は思うのです。地上で「善人」を気取っている人々こそが、本当は自分たちの手でその地下室を作ったのではないか、と。
今日も、カルテには書かれない「処理」が地下で行われています。
私はその扉の前に立ち、地上から聞こえてくる、偽善的な拍手の音を聞いています。彼らはまだ気づいていません。自分たちが捨てたものの上に、今のこの「清潔で残酷な世界」が成り立っていることに。
地下の遊園地では、今日も誰かが、消されたはずの物語を、暗闇の中で懸命に語り継いでいるはずです。誰にも知られることなく、けれど、この世界の終わりを予感しながら。