かくん!

 薬を飲んだ飴細工はあっという間にこくりこくりと眠ってしまい、ユナがどんなに声をかけて揺さぶっても、起きようとしなかった。

「死んでるわけじゃないよ、お母様。寝てるだけ」

 心配して取り乱しそうになったユナに、小さい女の子の飴細工がおどけたように、ウインクして見せた。

 青い小瓶に入った液体はただの『眠り薬』で、間違い無さそうである。
 
 飴細工達は真実を証明するために、行動を起こしてくれたのだ。

 彼らはそのせいで、どこかしら怪我をしていたり、疲れてぐったりしていたり、消耗してしまっている。

 湖の中に入った子などは服や体の表面の色が薄く溶けて濁り、大地の横でうずくまり、ぼんやりとしてしまっている。

「ああ、あなた達…………」

 ユナは、想いを言葉にすることが出来なかった。

 申し訳なさ、不甲斐なさ、感謝。

 言葉のかわりに涙が溢れ出す。

 どうして彼らは自分のために、ここまでしてくれたのだろう。

 それに引き換え何故自分は、口先だけしか甘い御託を並べられない男達の言葉に、聞き入ってしまったのだろう。

 結局のところ証明とクーズルは、こちらの『弱さ』に付け込もうとする、ただの詐欺師だったというのに。

 彼らはいやらしい薄ら笑いを浮かべながら、飴細工達に手を伸ばし、そのままこっそり連れ去ろうとしている。

 ユナは激高し、男達を睨みつけた。

「よくも…………!」


 枯渇証明がユナの方角に杖を向け、笑いながら呪文を唱えた。


黒天権(クスメグレズ)!」


 ユナは小さな悲鳴を上げた。

 岩時は白龍神が守る地で、彼女はその庇護を受けながら育ったため、黒龍側の力を見るのは初めてだった。

 強風があたりを包み、ユナと飴細工達はあっけなく飛ばされ、グルグルと回りながら別世界へ吹き飛ばされそうになってしまう。

 その時、薄目を開けながら横たわっていた大地が「天璇(メラク)!」と叫んだ。

 薄桃色の『天璇(メラク)』の力がユナや大地や飴細工達を包み込み、バリアを張って守ってくれた。

 グニャリ。

 二つの魂の花が反応して、茎を伸縮させて動き始める。

 黒い茎の花は小さく委縮し、白い茎の花はムクムクと大きく成長していく。



 ────ガンッ!



 大地が放つ天璇の力はユナと飴細工と彼自身を守り、証明の黒天権(クスメグレズ)の力を見事に跳ね飛ばす。

 だが力を使った大地が再び意識を手放すと、天璇の力はあっけなく解除されてしまい、ユナたちを守る力は無くなってしまった。

 ぶつかって自分達の方へと跳ね返ってくる黒天権に、証明とクーズルは目を見合わせ、にやりと笑みを浮かべている。

 跳ね返ってきた力を使って、この場から逃げ出そうと目論んでいるのだ。


 どこからともなく、声が聞こえる。


「────逃がさないよ。天螺(テンラ)


 声の主は、スウ王子だった。


 空中に姿を現した王子は、太くてごつごつとした灰色の杖を一振りした。


 杖から放たれた力は規則正しい螺旋を描き、枯渇証明とクーズルを何度もきつく、グルグル巻きにしてゆく。

 王子は悪者の身動きが取れないよう、ピッタリ中へ封じ込める事に成功した。

 神官帽をどす黒い血の色に染めたクーズルが、巻かれながら断末魔のような呪いの叫び声をあげた。

 ──ギャアアアー--ッ!

 クーズルの喉奥から半魚人の化け物が何体も飛び出し、王子の方へと飛んで来る。

 ──グアッ!

 半魚人は長い爪をぶんぶんと振り回し、王子の腕に幾筋もの傷をつけた。

 ────ガガッ!!

 王子の腕から真っ赤な血が噴き出した。

「スウ様!」

 ユナは叫んだ。

「何という事…………!」

 スウ王子が、傷を。
 また、自分の過ちのせいで…………

 腕の痛みなど意にも介さず、懐から紫の細長いナイフを取り出した王子は、幾筋も連なる金銀の、まばゆい『螺旋』を空中に描いた。

 グルグル!

 グルグル!

 旋回した螺旋の文様はどんどん巨大化し、鋭利な刃物に変化して、向かって来る半魚人達を一瞬のうちに、バラバラに切り裂いた。

 血と肉片があたり一面飛び散ったので、飴細工達はキャアキャアと叫びながら(でも少し楽しそうに)、慌てふためきながら退避している。

 クーズルの反撃は通用せず、詐欺師たちはついに観念し、捕らえられた。

「…………彼らを牢の中へ」

「かしこまりました」

 スウ王子は後ろに控えていた従者に命じて、証明とクーズルを牢まで連行させた。

 ユナは申し訳なさで一杯になりながら、自分の衣服の袖をビリッと引き裂いた。

 王子の腕にその袖をクルクル巻きつけて、ユナは血止めを行った。

「ユナ姫、こんな事を……」
「どうか、やらせて下さい」
「…………」

 どんな選択をしていれば、王子や飴細工達が傷つかずに済んだのだろう。

「申し訳ございません。スウ様」

 謝罪を口にしながら、頬に再び涙が幾筋も伝うのをユナは感じた。

 スウは反対側の手で、彼女の頬に伝う涙にそっと触れる。

「このような危険な場所へ、どうして誰にも相談せず、一人で出向いたりしたのです? ユナ姫」

 王子の声が、静かではあるが微かに震えているのをユナは感じた。

「…………」

 深呼吸し、王子はユナを真っ直ぐに見つめ、再び続きを話し出した。

「あなたがいなくなったとわかり、私は心配で心配で……いても立ってもいられませんでした。どれほど探し回ったことか」

 結婚式の時に見た、余裕のあるスウ王子の微笑は、今はどこにも見当たら無い。

 焦りから来る苛立ちと憔悴、ユナを問い正さずにはいられない悲しみが彼の瞳に、ありありと宿っている。

 ユナは初めて、王子の本物の声を聞いたような気がした。

 …………そうか。

 牢へ来る前に、一言彼に相談していれば良かったのだ。

 協力を最初から願い出ていれば、こんな風に心配をかけたり、王子にも飴細工達にも、大地にも、深手を負わせること無く済んでいたかも知れない。

 ユナは心の底から反省した。

「…………申し訳ございませんでした。私、牢に入れられた桃色のドラゴンと、話したくなったんです」

「…………桃色のドラゴン、って?」

「そこに横たわっている少年です」

 スウ王子は驚いて大地を見た。

「……あのドラゴンが変化した姿だったのか…………」

 報告は上がっていたが、螺旋城が崩壊した後処理に忙しかった王子は、実際に人の姿になった大地の姿を、自身の目で確認していなかったのである。

「彼は今、憔悴しきっており、命がとても危険なんです」

 言葉も上手に話せない状態だったというのに、大地は天璇の力で自分達を守ってくれた。

 そして意識を失い、もっと危険な状態に陥っている。

 ユナはこの場所へ来るまでのいきさつを、簡潔にスウ王子に話して聞かせた。

 自身の後悔も。

 ミナトや大地との出会いも、全て。

 スウ王子は急いで、もう一人の従者に指示を出した。

「彼を温かい部屋へ運び、きちんとした手当をしてあげてくれ。このままでは命が危ない。目が覚めたら、栄養のある食事を。彼はここにいるユナ姫達を守った恩人だ。あの恐ろしい桃色のドラゴンとは、今は違うようだから」

 その言葉が終わった途端、二つの魂の花の形がさらに変化した。

 白い茎の花は大きな蕾をふくらませ、今にも咲く寸前といった状態へ。

 逆に小さくなった黒い茎の花は一層小さく、芽のような大きさになってゆく。

 それに気づかずスウ王子は、再びユナの方へ向き直った。

「私との結婚の話は別として。あなたは今、岩時国からお預かりしている大切なお方だ。そんなあなたに何かあったらと思うと…………いや。…………少し、違う」

 ユナを見つめる王子の目に、一瞬だけ熱のような何かが浮かんだ。

「あなたは私にとって、もう…………かけがえの無い特別な女性なんだ」

「スウ様…………」

「お気持ちは尊重するし、国へ帰りたいと仰るなら、それはそれで構わない。だが、私があなたを一番大切にしたいと思っていることだけは、忘れないでいて欲しい」


 ユナは、スウ王子の言葉の中にある真実を感じ取った。


 その瞬間、ユナの心にあった『何か』が音を立てて壊れ、生まれ始める。


 白い茎を持つ花の蕾がふわりと柔らかく、この瞬間に咲き始めた。