マユランは、懐から取り出した10本の飛刀を勢いよく放った。

「よくも、よくも……お母様を!」

 ビュッ!!

 ビュッ!!

 ビュッ!!

 だが。五角形の飛刀はスズネの頬をかすめると、彼女には刺さらずに勢いよく旋回しながら、ある場所へと飛んでいく。

 ビュッ!

 ビュッ!

 ビュッ!

 小さな螺旋を描いて上昇し、飛刀は城の天井にあるステンドグラスを、次々と破壊していった。

「────!!」

 五角形の飛刀は螺旋城の天井のステンドグラスに、10本全部突き刺さった。

 バリン!!

 バリン!!

 バリン!!

 マユランの飛刀は直接スズネを狙ったわけでは無く、螺旋城に直接命令を下したのである。

 スズネを殺せ、と。

「────?!」
 
 色とりどりのステンドグラスの破片の雨が、一斉に、大広間じゅうに降り注ぐ。

 鋭い破片は渦を巻きながら塊と化し、鋭利な先端をスズネへ向けて襲い掛かった。

 破片の動きが素早過ぎて、スズネの目ではとても追えず、まともに攻撃を喰らうしか無くなる。

「ギャァァッ!!」

 破片は深々と、スズネの右脇腹へと突き刺さる。

「ひっ……!」

 律は恐ろしくなり、小さな悲鳴を上げた。

 破片が実体のない律を襲うことは不可能なのだが、目の前の光景に圧倒されてしまい、震えが止まらなくなる。

 マユランの怒りが螺旋城に届き、両者が激しく共鳴した瞬間である。

「まさか、っ…………!」

 スズネは声を上げた。
 こんな事があろうとは。

 思いがけない事態に陥り、冷静さなど吹き飛んでしまう。

 13歳の少女に敗北しようなどとは、夢にも思わなかったからである。

「おほほ、……誤解ですわ、マユラン様……」

 スズネはどくどくと血を流し、ガクガクと震えながらこう言った。

「ほんの冗談ですわ。ユナ様は、今もまだ生きていらっしゃるではありませんか。あのユナ様は、実体じゃありませんでしたもの!」

 とどめを刺されそうになり、スズネは慌てて今までの会話を取り繕う。

 マユランの、桁違いの強さがようやく理解できたからだ。

「玉座には、ワタクシでは無くてユナ様かあなた様が、最もふさわしいのです」

 マユランは、スズネの話など聞こうとはしない。

 話が通じる相手かどうかなど、もう、マユランにとっては、どうでもいい事なのである。

 今のマユランには、スズネを殺す事だけが全てなのだから。

 ゴウッ!!!

 ビシュッ!!

 再び巨大な破片の塊が、先端を一層鋭くして、うねりながら旋回して、スズネの眼球と心臓部に深々と突き刺さった。

「ギャーーーーーッ!」

 スズネは城中に響き渡るような、大きな悲鳴を上げた。

 これは戦いでは無く殺戮である。

 律はますます、ぞっと身震いした。

 この優しそうな少女のどこに、このような力が眠っていたというのだろう。
 
 あたりには再度スズネの赤い血が飛び散り、どくどくと大広間を染め上げる。

 どこかから鐘の音が、高らかな音色になって耳に届く。

 破片はみるみるうちに元の、天井のステンドグラスの姿へと戻っていった。

 赤い色を濃くしながら。

 想像を絶するマユランの強さが、螺旋城の叫び声となって鳴り響く。

 時間を手中におさめているはずのスズネが、全く手出しできないもの。

 それは封じ込められた生き物だけが持つことを許された、永遠ともいえる想いの強さだった。

 死の淵に追い詰められたスズネが、最後にマユランに与えられる影響力は、自身が誇る『時間の力』だけである。

 時は『永遠』に勝てるのだろうか。

 ユナが座っていたはずの瑠璃色に輝く玉座が、大広間の中央へと現れた。

 操られるように奇妙な動きをしながら、ヨロヨロとスズネは、そこに座した。

「ゴアッ………ゴボッ!」

 スズネの口から溢れ出た鮮血が、床の上にしたたり落ちる。

 途端、城の壁面からロープ状に伸びた触手が螺旋の文様を描き、玉座に座ったスズネの首や腕や体を括りつけて、動きを完全に封じ込めた。

「ギャ……」

 マユランは、スズネへつかつかと歩み寄って、腰から銀色の長剣を引き抜き、一回、二回、三回と、縦横無尽に切りつけていく。

 体の自由を奪われたスズネは、マユランの速さに対応できない。

「!!!!」

 スズネの顔はどす黒くなり、完全に表情をなくした。

 やがて彼女の体は液状化していき、ドロドロになって、瑠璃色の玉座の中へと溶け込んでいく。

 マユランの攻撃は終わった。

「お母様を殺した罰よ」

 スズネは息絶えた。

 それと同時に螺旋城は蜘蛛のように大きく歪み、ますます奇怪な形へと変化してゆく。

 それまでスズネだったはずの生き物が溶け込むと、玉座の背もたれの上に、大きな朱色の時計が現れた。

 その大時計はまるで、今までずっとそこに存在していたかのように堂々と乗っており、カチコチと時を刻んでいる。

 今はちょうど、十二時をさしている。

 律はこの光景に唖然とし、両腕で自分の体をギュッと抱きしめてしまう。

 今まで威張り散らしていたはずの、あの時の神スズネが、大時計が乗る玉座の姿へと変化してしまったのだ。驚くのも無理はない。

 ジンはなおも、静観している。

 巨大な蜘蛛のごとくグネグネと動いていた螺旋城は、その動きをやっと止めた。

 大時計が出現したので、自分の出番がやっと終わった、とでも言うかのように。

 どこからだろう?

 ヒソヒソと、囁き声が聞こえて来る。

『お母様が死んでくれて、本当は嬉しいのでしょう? マユラ〜ン』

「…………?」

『そうだよ。二度と世話をしなくて、済むのだからな?』

「…………何言ってるの」

『良かったわねえマユラン。これでやっとあなたも解放されたわね! もうすぐここから出られるわよ?』

「…………姉様達に、私の何がわかるのよ!」

 マユランは叫んだ。

 律は、彼女が誰と喋っているのかわからない。

『ほら。お母様が死んだから、息苦しかった呼吸も少し楽になったでしょう?』

「ねえ、これ誰の声?」

 思わず、律はマユランに尋ねた。

「……私の兄様達と、姉様達よ」

「?!」

『ねぇマユラン。スズネのおかげであなたは、あのお母様から解放されて自由になったのよ? 少しはスズネに感謝した方が良くなくって?』

『そうだ。感謝した方がいいよ』

「ああ……おぞましい、おぞましい、おぞましい! もう出ていって! 出て行ってよ、この城から!」

 マユランは混乱した様子で、狂ったように叫んだ。

『そうするよ』

『言われなくたって。ねぇ』

 その途端に、あたりがシンと静まり帰って、声が一切しなくなった。

「笑わなかった母が死んで、私が嬉しいって一体どういう事よ。そんなはず無いわ」

 生きていたら母はまた、笑ってくれたはず。

 マユランはそれをずっと信じていたからこそ、決して母の側を離れず、諦めずに済んだのである。

 諦めたら負けだから。

 それきりだから。

 おしまいだから。

 ……何が?

 何がおしまいだというのだろう。

 自分はこれで自由になった?

 自由って何?

 マユランは、ふと律を見た。

 体じゅうが縮み上がる心地がしたが、律は背筋を伸ばし、マユランを見つめ返す。

 今の律には、マユランが完全に狂っているようにしか見えない。

 だが、彼女から目を逸らしたら、自分の負けだ。

 律はそんな気がしてならなかった。

 そんな時、マユランの口からは、思いがけない言葉が発せられた。

「……あなたのお母様を、殺してしまってごめんなさい。律」

 マユランは、律に向かって深々と頭を下げた。

 先ほどまで狂った様子だったのに、自分に謝罪をしたマユランに、律は驚く。

「ううん。頭を上げて、マユラン。私はスズネの娘では無いの。調子に乗って『娘』と呼びたがっていたあの女に、話を合わせていただけよ。私は攫われて、ここに連れて来られただけなの」

「……そうだったの、お可哀想に」

 マユランは、心から律に同情するような表情を見せた。

「あの女は何かの目的があってこのピアノを、あなたに弾かせていたの?」

 律は頷いた。

「ええ。音を響かせるにはこの場所が最適だから、と言っていたわ」

 スズネが負けて、殺された。

 では、この場所へ攫われて来た律は、一体どうなってしまうのだろう?

 元の世界へ帰れるのだろうか?
 
「私がここでピアノを弾けば、あの女は『無限の力を得ることが出来る』。そう言っていたわ。……意味が良くわからなかったけれど」

 不気味な鐘の音が、城じゅうに鳴り響く。

 まだ螺旋城での時間は、動き始めたばかりだった。