姫毬は大地に、自分の過去を話し出した。

「武器商人をしていると、たくさんの生き物や異性と関わる機会を得るんだ」

 武器に夢中だった若かりし日の姫毬は、毎日を忙しく過ごしていた。

 少し気を緩めると、どこにいてもすぐに彼女は、疲れ果てて寝てしまう。

「ある時、一人の客の男に、えらく気に入られてね」

 大地はどきりとした。

 姫毬が何を言い始めるのか、何となく想像がついてしまったからである。

「うたた寝をしている間に、私の血を勝手に、その男に吸われてしまった」

 自嘲するように、姫毬は笑った。

「その男の子供まで、私は生んだよ。血の呪いはね、時を超えて連鎖するんだ。可愛らしい子供の心にも、私の恐怖と悲しみは、深い影響を及ぼしてしまった」

 無害を装った奇妙な冷酷さで、姫毬は一点を見つめながら淡々と語る。

 心を置き去りにした様子で。

 大地の反応を試すように。

「それを知った愛する夫は、ショックを受けて気が狂った。…………以来、二度と夫は私と、血の交換をしたがらなくなった」

「姫毬の夫って」
「時の神、爽」

「…………」

「今も別れてはいない。神々に離婚という制度は、必要ないからね。夫はその後何人もの女と、血の交換をするようになった」

 姫毬もその後は、自分の客と気軽に、血の交換をするようになった。

「その方が断然、商売がしやすかったから。行為の前には、子供が出来てしまわないないよう、破の霊水を飲めばいい。そうすれば問題は無いわけだから。体はね」

 もう、慣れてしまったんだ────

 感情などいらない。

 ただ血を与え、受け取るだけ。

 生きるために。

 だから道の神クナドの味も、知っている。

 あの男にかかった呪いの正体が何なのか、自分にはかなり正確に、理解できる。

 味を知っていると解る。

 だからそれが何なのだと、言われればそれまでだけど。 

「起きたことを何度頭の中で甦らせても、怒りを讃えても、悲しんだとしても、心を取り換えても、ひっくり返して反転させても、吐くような苦しみを再現しても、結局同じ」

 どんな経験を積んだところで、深く癒されることは決して無く、完璧な回復などはまず望めない。

 それどころか。
 心は濁っていくばかり。

「だからといって、先ほど君の血を吸った事は、言葉で片づけられる類の非道では無い。それもわかってる」

「…………」

 わかっているなら何故────

 これが血の呪いだというのか?

「君を傷つけた罪滅ぼしがしたい」

「…………」

 大地はまだ、姫毬の真意を測りかねていた。

 彼女の言葉には全く、重みというものが感じられ無いのだ。

 あっさりし過ぎていて、どこかに危険を孕んでいる事を予感させる。

「力になりたいんだ」

 表情を変えず、こう言い出す姫毬。

 けれど、もしかしたら。

 外部から来たという彼女なら、この城から出る本当の方法を、知っているかも知れない。

 これも罠かも知れないが、彼女の言葉に乗るのもありだ。

「…………お前の言葉はイマイチ信用できないし、今許す気には到底なれない」

 大地は彼女にこう告げた。

「…………だろうね」

 自分も姫毬にたった今、血を吸われた被害者なのだ。

 何度謝ってこようが、言葉に誠意が感じられようが、許すこととは別問題だ。

 だが。呪いの連鎖が言葉通りの意味ならば、ここで断ち切る事は可能なのかも知れない。

 自分はさくら以外の女性とは、血の交換をするつもりが無いのだから。

「だから約束して欲しい。破った場合、俺はお前の敵だ。姫毬」

「何を約束すればいい?」

「俺と、普通の『友達』になること。今後は二度と、俺の血を吸おうなどと思わないこと。それだけだ」

「わかった」

 姫毬は快く頷いた。

『割とあっさり承諾したな』

 先ほどから彼女は、無表情で感情が全く読み取れない。

 だがまずはここから、姫毬との関係を始めるしかない。

「この城から早く出たい」

 姫毬は頷いた。

「力を貸すよ」

 あたりが桃色に輝き出した。

 場の空気が変化する。

 空間がうごめき出し、あるものが現れる兆しを見せる。

「ここから出たいなら、君は自分の正体を正確に知る必要がある」

 大きな風が湧き起こる。

 桜の花びらが一斉に、空中へと舞い上がった。

 一人の少女が突如現れ、大地と姫毬を見つめている。

 筒女神の姿をした、さくらである。

「…………さくら!」

 どうしてここに現れたんだ。

「ここは咲蔵(サクラ)。力の源」

 姫毬はさくらを指さした。

「一番大切なものを君は、どんな方法で守る?」

 袂から小さな毬をふたつ取り出し、彼女は言った。

「まずは、ここから」

 さくらの方角へふたつの毬を、姫毬は勢いよく投げつけた。


 ────シュッ!


 ────シュッ!


「わ、バカ! 何するんだ!」


 大地は咄嗟にさくらの前に飛び出し、全身で彼女を守ろうと両腕を大きく広げて、任王立ちになった。

 瞬く間の出来事。

 姫毬が投げた毬は、ひとつが白艶、もう一つが黒艶と名乗った、うら若き乙女たちに変化した。

 二人とも大地があげたはずの黒い着物を身に着けて、全力で突進してくる。

 黒艶が、鞘から黒塗りの刀剣を取り出して、さくら目掛けて真一文字に一振りした。

「くっ!」

 大地はそれを止めるため、全力でぐいっと腕を伸ばした。

 すると手には、白銀に輝く天璇(メラク)の鉾が、力強くおさまった。

 天璇(メラク)の鉾を盾替わりにし、間一髪で黒艶の攻撃からさくらを守る。

 ギンッ!!

 鉾に当たった刀剣ははじかれ、黒艶の手から飛ばされた。

 すると今度は白艶が、銀色で片刃の円頭大刀を両手に構え、縦に一振りした。


 ────間に合わない!


 大地が大きく息を吸い込むと。


 体の奥が、燃えるようにカッ!! と熱くなった。


 エネルギーが腹の奥から湧きあがり、不思議な音を立て始める。


 ゴゴゴゴゴゴ!!!!


「────?!」


 天璇(メラク)の鉾は、いつしか黒色に輝いている。


 大地が吐いた息が鉾に当たり、黒い炎にボウッ!! と焼かれたように燃え上がった。


 鉾は大きな黒い(バリア)へと変化して、大地とさくらを包み込んで守った。


 ────ガッ!!!


 白艶の円頭大刀は、黒い天璇(メラク)の盾の力に阻まれ、真っ二つに折れた。

 それでも彼女の攻撃は終わらない。

「大地様は酷いお方。私たちに心を砕いては、下さらないのですね」

 涙を浮かべながら、白艶は黒い着物を脱ぎ棄てた。

 薄い肌襦袢一枚になると、白艶は大声でわめき散らした。

「ならばこんな着物、下さらない方が良かったのに!!」

 大地はそれを見て、黒い天璇(メラク)から抜け出し、白艶の方へ進み出た。

「お前らには恨みは無い。戦いたくないし、泣いてほしくない。これ以上さくらに攻撃するのを、やめてくれ!」

 白艶と同じように着物を脱ぎ、肌襦袢一枚になった黒艶は、大地を嘲るようにこう言った。

「侮辱のようにしか聞こえませんね。ああしろこうしろと命令できるのは、自分の女にだけなのでは?」

 そもそも何故、この着物を私たちに下さったのです?

 そんないい人がいるくせに。ああ、あなたが憎い! 憎い!

 白艶と黒艶は、口々に大地を罵り出した。

 ふと後ろを振り返ると、さくらが黒い天璇(メラク)の中で、苦しそうに息をしている。

「…………さくら?」

 どうして苦しそうなんだ?

 天璇(メラク)に守られているはずなのに。

「それは黒天璇(クスメラク)。使い方次第では大切な彼女の命を、奪ってしまうよ」

 姫毬は傍観者よろしく、桜の花びらの中に座りながら、飄々とした様子で大地に助言を始めた。

「君がどうしたいのかを、はっきり全員に伝えればいい。そうすれば全ての呪いは、解けるはずだよ」

 大地には、ここにいるさくら以外の女性全員が、悪魔の様に思えてきた。