「『SSR』って何だ?」

 思わず尋ねた大地に対し、クナドは丁寧に教えてくれた。

「『SSR』は『スーパースペシャルレア』の略で、SRは『スーパーレア』の略。つまりスーパーレアな女の子よりワンランク上の神レベル美女が『SSR』。この美女は『桃色の扉』限定で、他の扉では現れないんだ! 大地、君は全ての欲望を叶える事が出来るかも知れない。まぁ、その逆もあり得るわけだけど……。上手くやれば君は、女の子全員の血が吸い放題だ♡」

 大地の心臓はまた、グワッと音を立てて鳴った。

「ギャワーーーッッ!!!」

 大地は羽冠を押さえながら絶叫を上げているクナドの両肩を乱暴に掴み、猛烈な勢いで揺すり出した。

「このド変態が! さっきからお前、何言ってんだ! 元の場所に戻せ!」

「イデデデ……!! だって君が選んだ扉の世界なんだよ? あ、ほら! 彼女がこっちにやって来る!」

 大地が慌てて顔を上げると、熟した果実に似た邪気を含む香りと共に、美女がゆっくりと近づいて来た。

 甘い微笑みを浮かべながら、狙い定めるような眼差しで、彼女は大地だけを見つめている。


 ピコンピコン!


 ピコンピコン!


 クナドの方角から、せわしないアラーム音が鳴り響く。

「ん? なんだろう」

 懐から小さな六角形の薄っぺらい緑色の石を取り出して覗き込み、クナドは嬉しさのあまり小躍りした。

 石の真ん中が光り輝いている。

 どうやらこのアラームがわりの小さな石は、クナドに何かを知らせているらしい。

「おっ! やったね!!」

「?!」

 今度は何だ?

 大地は思わず身構えた。

「これでやっと帰れる!」

「どこへ?」

高天原(たかまがはら)

 クナドの興奮した様子が、今までよりもさらにクレイジーに見える。

「大地! 悪いけど僕、大事な用事が出来ちゃったんだ! 時々こっちに様子を見に来るから、君は君で頑張ってね! ファイト!」

「…………は??」

 黒樺の杖を一振りし、クナドは一瞬で姿を消した。

「……あいつ、どこ行きやがった?」

 クナドが急にいなくなって、不安な気持ちに襲われてしまう。

 そんな自分にイライラする。

「どうしろっていうんだよ……」

 だんだん頭がぼーっとしてしまい、クナドを脳内で責め続ける余裕すら無くなってきた。

 甘い果実が熟したような香りがあたり一帯に広がり、その空気を大地は吸い込み過ぎてしまったようである。

 息をするたび頭の中が朦朧となる。

「はじめまして。私は姫榊(ヒサカキ)と申します」

 姫榊(ヒサカキ)と名乗った女性は、神秘的な微笑みを大地に向けた。

「…………大地だ」

 もう、どうにでもなれだ。

 状況を呑み込めないまま、大地も彼女に挨拶を返す。

 ユミヅチが背後から、大地にヒソヒソと話しかけた。

姫榊(ヒサカキ)にはSR級の侍女が二人おり、彼女にとても忠実です。だからあの二人の血も、大地様だけのものになりますよ」

 大地はユミヅチを睨みつけ、吐き捨てるように返事をした。

「俺にはさくらという、れっきとした婚約者がいる。他の女の血を吸うつもりはない」

「……そうなんですか?」

 ユミヅチは驚いた様子で畏まる。

 …………だが。

 大地はさっきの自分に自己嫌悪を感じていた。

 結月の血を吸おうとした自分。

 隠されていた本能が、この扉の世界を求めたとでも言うのか。

 自己嫌悪がどす黒い血液となり、体中を駆け巡っている心地がする。

 そうだ。

 全ては、自分に流れる、どす黒い血液がいけないんだ。

 血液が…………

「大地様…………」

 姫榊(ヒサカキ)は大地に近づいて目を丸くし、感動した様子で語り出した。

「…………あなた様は恐らく、私が生まれた時からずっと探していた運命のお方に、間違いございません」

「…………?」

「あなたの香り…………本当に素晴らしいですわ。寛大で底知れぬ、大きな力をこの全身で感じます。私には到底全てを理解する事は叶いませんが…………。これより私は、あなたに仕え、生涯かけてあなたを愛し、身も心も捧げる事をお約束いたします」

「香り? それが一体…………」

 ついに頭が働かなくなり、大地はガクンと突然、地面に両膝をついた。

「あらあら大変!」

「大地様をすぐに岩時城へ!」

「「かしこまりました」」

 朦朧とする意識の中、誰かの手によって自分の体が、岩時城の門の中へと運ばれていく。

 まるで強い酒を無理やり飲まされ、酔い潰れてしまったようだ。

 頭が体に追いつかない。

 少しだけ残る意識の中で大地は、自分の香りを嗅いでみた。

 ……別に何の香りもしやしない。

 
 馬鹿野郎。


 どいつもこいつも最低だ。


 その中で自分が一番、最低だ。


 意識を失う寸前まで、大地はしきりに頭の中で何もかもを毒づき続けた。














 目が覚めるとそこは広々とした、豪奢な部屋の中だった。

 大掛かりな宴の席が作られており、フカフカの椅子の上で大地が起き上がると同時に、聞いたことの無いような美しい音楽が沸き起こる。

 足元まで届くほどの長い赤髪を美しく結い上げ、黒と赤を基調とした優美な十二単を着た姫榊(ヒサカキ)は、恭しい仕草で大地に向かって首を垂れて跪いた。


「ようこそ大地様。これよりこの岩時城は、あなたのものです」


 気づくと舞台の上にいる姫榊(ヒサカキ)の背後には、二人の乙女が膝を折りながら控えている。

 一人は芯が強そうに口元を引き結んだ、藍色の髪を二つに分けて束ねている少女。

 もう一人は透き通るような薄緑色の髪を腰まで伸ばし、明るい笑顔を見せている少女である。

 姫榊(ヒサカキ)は二人の乙女と共に、大地のために歓迎の舞を披露してくれた。

「…………」

 そう易々とは、戻ることが出来なくなったってわけか。

 ふと横を見ると、ユミヅチが心配そうに大地の顔を覗き込んでいる。

「お加減はいかがですか? 大地様」

「宴はやめてくれ。時間が無いんだ。早くここを出たい。出口はどこだ」

 心底驚いた様子で、ユミヅチは穴が開くほど大地の顔を見つめ出した。

「ここには岩時城と海しか存在しません。出口を探すには、いずれにしても城の中で情報を仕入れなくてはなりません」

「…………!」

 ユミヅチは冷静に、大地を諭すような口調で語り出した。

「あなたは、とてもお疲れのご様子です。すごくお腹が空いて喉も乾いておられるのでは? この城には温かいお布団もありますし、たくさんのご馳走もあります。まずは存分に、力を蓄えてはいかがでしょう」

 彼女が放つ言葉の誘惑に、負けそうになってしまう。

 そんな自分に、怒りがこみ上げる。

 そろそろ限界が近づいている。

「ありがたいが、そんな時間は無い」

 とても残念だ。

 何かの罠に、見事にハマってしまったような気がする。

「どうしても?」

「ああ」

 さくらや仲間たちが心配だという気持ちが一番なのは、噓ではない。

 なのに。

 なぜか一方では。

 岩時城の本質を、知っておくべきだという気がするのだ。

 それは美女達の魅力に負けて本能の赴くままに、快楽に身を任せたいという激しい衝動から湧き起こる、自分の欲望そのものなのかも知れない。

 自分の正体を知るのが怖い。

 湧きあがる欲望や、抑えきれない好奇心を、完全に捨て去ることは到底出来ない。

 けれど自分の本能からくる衝動の全てを、知ってしまうのが恐ろしくてたまらない。

 拒絶していたい感情。

 だから動揺ばかりしている。

「勘弁してくれよ、もう」

 大地はたまらなくなり、目の前で踊っている美女たちから、思わず目を逸らしてしまった。